「韓国は反日へと続く道だけしかない」――“韓国”という国の真の姿

社会

公開日:2019/1/11

『朝鮮半島統一後の日本に起こること~韓国人による朝鮮半島論~』(シンシアリー/扶桑社)

 北朝鮮の核の脅威が叫ばれるようになって久しいが、2018年には史上初となる米朝首脳会談も行われ、一時は問題が収束するかに見えた。しかし、最近になって再び北朝鮮に不穏な動きがあり、日本およびアメリカ政府が警戒しているといわれている。だが、日本人にとって重要なのは北朝鮮だけではない。北朝鮮を語るうえで決して欠かすことのできない国がある。それが「韓国」だ。日本にとっても国境線を重ねる隣国であり、北朝鮮とは民族を同じくする国である韓国。北朝鮮問題において重要な役割・立場を持つ国だが、日本人の多くは韓国という国をよく知らないのではないだろうか?

『朝鮮半島統一後の日本に起こること~韓国人による朝鮮半島論~』(シンシアリー/扶桑社)は、韓国人である著者が韓国についての分析を記した本だ。韓国内の報道や政治家・知識人などの発言や論評に基づいて、韓国という国を描写している。その内容は、かなり過激であり、「韓国の反日は国是である」と断言する。国の成り立ちから、思想的・文化的背景に至るまで、韓国には反日へと続く道だけしかないというのだ。

 そこに最も影響を与えているのが、「韓国の民族主義」である。これは一般的な民族主義とは異なる、韓国だけが持つ独特の民族主義だという。著者の表現を借りるなら、「民族主義が韓国人を所有している」という特殊な民族主義である。「韓国人は偉大な民族であり、それを世界中の人が認めるべきだ」という民族主義を共有することが、「真の韓国人」であるための絶対条件だというのだ。本来の民族主義とは、近しい血縁関係や同じ地域に住む人々が、お互いの共通点から「民族」のあり方を見つけ、そこから共同体としての絆を深める。だが、「韓国の民族主義」においては、まず「韓国人はこうあるべき」から始まり、それを共有することを強要するという過程を経る。このため、ただ自分たちの民族を称えるだけでは足らず、それを他の人々にも認めさせずにはいられない。ところが、理想と現実の間には、いつだって乖離があるものだ。自負する民族の姿と現実との間に乖離が生まれた場合、精神的な均衡を保つために原因を求める。それが「日本が悪い」である。

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 また、韓国の民族主義には「北朝鮮」が含まれる場合もある。特に、韓国でいわゆる「リベラル」と呼ばれる人には、北朝鮮を含めた民族主義を謳う人が多い。そこには、「北朝鮮と統一してこそ、完璧な民族国家が完成する」という悲願があるという。朝鮮半島が統一することで、世界で有数の大国になれるという夢。そこには、「北朝鮮の核兵器が韓国のものになる」という思想もあり、韓国では「北朝鮮の核の脅威」について語られる機会はあまり多くない。ただし、朝鮮半島が統一され、そこに大国が生まれるというだけなら日本がとやかく言うことではないだろう。著者が懸念しているのは「統一しても韓国は大国になれない」点にある。

 たとえば、仕事の問題。北朝鮮国民が飢えに苦しんでいるのは周知の事実であり、統一が起これば、仕事を求める民衆が韓国になだれ込む。ところが、現在の韓国は経済的に疲弊しており、すでに韓国の多くの若者が就労できずに困っている。そこに北朝鮮労働者が入ってくればどうなるか。さらに教育の問題がある。韓国と北朝鮮では教育の内容がまったく違うが、統一後はある程度の平準化が必要だろう。両国にとって納得できる共通の価値観を教えることが求められる。そして、二つの国が共有できる価値観とは、すなわち「反日」だというのだ。統一の夢が果たされたにもかかわらず、大国になることができない。その不満は「日本が邪魔をしている」という思想へと容易に結びつく。韓国と北朝鮮が共有できる「反日」教育の強化は進み、北朝鮮の核兵器は「統一朝鮮」の手のなかに収まる。

「そんなこと起こるわけはない」と思う人もいるだろう。だが、韓国内では日本を悪役にした漫画や映画が多数制作され、大ヒットしているものも少なくない。「隣国だから仲良く」という人もいるが、「隣国こそ脅威である」というのは人類の歴史のなかで繰り返されてきたことでもある。著者は何も、日本が韓国と敵対することを望んでいるわけではない。ただ、むやみに好意的な対応をするのではなく、「韓国」という国の真の姿を見るように警告しているのだ。

文=方山敏彦