夏の終わりの追分は、道標をなくしたわかれ道

小説・エッセイ

更新日:2012/6/20

信濃追分文学譜

ハード : Windows/Mac/iPhone/iPad/Android/Reader 発売元 : 中央公論新社
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:紀伊國屋書店Kinoppy
著者名:近藤富枝 価格:486円

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堀辰雄、立原道造、津村信夫など信濃追分と縁のあった作家・詩人たちの跡を描いた追分文学史。筆者自身も追分に別荘をもち、追分と文人たちを語るその筆致は、日傘をさした着物姿の令夫人が気持ちのいい風のなかを歩いているような…。

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あるサークルの合宿を、信濃追分の国道18号から浅間山のほうへ登った民宿でやったことがある。時代は、本書の出版は奥付に1990年とあるが、そのもう少し前、努力することがダサく見え始め、なにも苦労せずにいいとこ取りばかりを夢想していたころ。ただ夏の終わりの追分周辺には、そんな若くおごった熱を鎮め、遠ざけてくれるような静寂があっと思う。しかしその合宿では、サークル活動の今後の運営方針をめぐって仲間同士で対立、つかみ合いまであって分裂、サークルは解体してしまった。唄い坂、笑い坂と坂道の名が本書に出てくる。唄い坂は、その昔、宿場だった追分の夜、飲んで騒いだ男たちが歌を唄いながら帰った坂と書かれていた。合宿を終え、宿から国道へと下る坂道は、道標を失い重い沈黙を引きずりながら歩いたわかれ道になった。

当時、ここに記されている追分を舞台にした文人たちの往来や物語、たとえば芥川龍之介とある婦人との恋や、その婦人がまた堀辰雄の作品のモデルだったこと、有名な油屋旅館のことなどはまったく知らず、唯一知っていたのは、「おまえの心はわからなくなった 私の心はわからなくなった」という立原道造の詩(「夢のあとに」優しき歌から)だった。

追分は花の村という。草木の名もたくさん出てくる。すすき、うるし、落葉松、白樺、もみじ、なら、こぶし、れんげつつじ、しょうぶ、ふでりんどう、あけび、葛、松虫草、おみなえし、月見草、キリンソウ、のあざみ、撫子、ホタルブクロ、バライチゴ、ヒメシオン、もみ、ゆうすげ、桔梗、吾亦紅…。「追分の澄んだ空、甘い風、濁りない色の花々」と書く著者の文章もまた濁りがない。いつか追分を訪れることがあったら、あの坂道を今度は笑って下ってみたい。


目次から信濃追分の風景が見えるよう

本書には多くの草木の名が出てくる。そのひとつ、ゆうすげ(夕萓、アサマキスゲ)は追分の村花

追分詩人ともいわれる立原道造の詩「優しき歌」から