徹頭徹尾伊坂ワールド! 寓話を通じて問いかける、国とは・支配とは

小説・エッセイ

公開日:2012/10/28

夜の国のクーパー

ハード : PC/iPhone/iPad/Android 発売元 : 東京創元社
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:電子書店パピレス
著者名:伊坂幸太郎 価格:1,365円

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釣りに出かけたはずの私は、気がついたときには草原に倒れていた。何かに絡めとられたように身体が動かない。そばには一匹の猫。名はトムという。彼は語る。ぼくの国でたいへんなことが起きている、と。この国は戦争に負け(もちろん人間の話だ)、敵の兵士が乗り込んできた。そしてやつらは、この国の王を殺したんだ──。いやちょっと待て。なぜ私は猫の言葉がわかるんだ?

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隅から隅まで伊坂幸太郎ワールド全開の長編だ。猫のトムが自分の周囲の出来事を語り、今、人々はかなり困った状態にあると告げる。敵の国(鉄国、という名前だそうだ)の兵士たちをなんとかしたい、協力してくれないか、と。いつの間にか自分は身動きできない状況にあり、しかも猫が喋り、おまけにどう聞いてもそれは自分のいる日本の話ではない。そんな状況なのに、主人公の青年はそのまま猫の語りを聞くのである。このトボけ具合からして「ああ、伊坂幸太郎だなあ」と嬉しくなってしまう。

この国の話も読ませる。いったいどこに向かっているのかわからないまま、まるで寓話のような、けれど示唆に富んだ物語が展開されるのだ。横暴な占領軍の目的は何なのか、この国の人々はこれからどうすればいいのか。そこには伊坂幸太郎らしい警句や箴言が鏤められ、「文章を読む快感」が満喫できる。作者が紡ぐ「言葉」そのものが目と脳に心地よい。

けれど快感ばかりではない。快感の奥には苦さがある。いや、苦さを快感という糖衣でくるんで読者に届けていると言った方がいい。ファンタジックな舞台で、猫や鼠がしゃべり、朴訥な人々が童話のように暮らす場所。けれど読み終わってみれば、あのくだりはあれの比喩だったのかとか、ここにはこんな意味が隠されていたのかとか、深く頷く場面が多々ある。

具体的に書かないのは、それに気付く瞬間こそが本書を読む醍醐味だからだ。「これが質問ですよ、これが答ですよ」という物語ではない。答がほのめかされて初めて「ああ、あれが問いだったのだ」と気付き、そこに仕掛けられた「問い」の怖さと暗さに気付くような構成なのだ。それが巧い。

飄々とした文体だが、穏やかに見えて物語のうねりは大きい。ファンタジックな物語の中に、今の平和な日々が永遠に続く保証などない、という過酷な現実が浮かび上がる。けれど希望がある。「私」がどのように猫のトム君に協力するか、そのくだりには思わず笑いながら膝を打った。厳しさや暗さは頑としてそこにあるけれど、その隣には笑いや穏やかな気持ちや誇りといったものも同時に存在するのだと、思い出させてくれる。これはそんな小説だ。


トムの章と

私の章