『働くおっぱい』第4回「AV女優と職業記入欄に書いたら」/紗倉まな

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更新日:2018/9/7

 大人になって働くと、“肩書きをもらえる”という特典がつく。

 血と肉体を分け与えてくれた親からいただいた、特別な名前を変えることはできない。どれだけキラキラネームと揶揄され嫌な思いをしたとて、画数が多くて履歴書に書くときに面倒くさいと溜息を吐きだしたとて、名前が自ら「じゃあ今から雰囲気イイ感じに変わって見せますわぁ~」と変形してはくれない。

 だけれど、“肩書き”というのは、大人になってから見つけられて、ある程度自由に選べる、便利なもう一つの名前ではなかろうか。なんて、最近よく思うのであります。

 ちなみに私が大人になってからついたもう一つの名前は「紗倉まな」という源氏名だけでなく、「AV女優」であります。

 その肩書きはセクシー女優、セクシータレント、ときたまヌードル(なんだか美味しそうに聞こえるけど、ヌードアイドルの略らしいです。ヌードルて…熱湯三分ですか…)など、カメレオンのように場所によってその色を変えるのであります。それらも一言で言ってしまえば、大人の事情の権化「コンプラ問題」によってのことではありますが、まあ私としては、「エロ屋」という肩書きが一番下町感があって、背伸びをしていない等身大の響きのようにも聞こえて(なおかつコンプラ的にも比較的OKな名前なのでは?)おすすめしているのですが…。全然浸透していないのが残念。

 名は体を表すといいますが、体を表していない名前もある。なんだか酷いことを申してしまうようですが、例えば「優」という字がつくにも関わらずすごく意地悪な人もときたまいますし、「誠」という字がつくにも関わらず、異性交遊が激しくて大切な女性に不誠実なことをしている人もときたまいる。

 当たり前だけれど、名前は与えられたものであって、自分の名前を意識しながら生き方を選んでいくことは殆どない。その人の性格形成が、親が愛をもってつけた名前に基づくのであれば、この世の大半の人間は平和で穏やかに満ち溢れているはずだと皮肉にも思う。

 だからこそ、大人になり、“自分の今の生き方が率直に反映される名前=肩書き”というのは、すごく自分という素材の名称として的確に合っているような気がして、肌触りのいい布に顔をうずめているような安心感と心地よさに包まれるのだ。

 しかしながら私の場合、一歩その仕事場から飛び出してみると、その安心感と心地よさから見放されてしまうことがある。

 大人になって自分で選んだ名前(肩書き)で苦労をしてしまうだなんて、あってはならないことのようだけれど、実際問題、しょっちゅう弊害が生じている。賢い皆様は「AV女優なんだからそりゃあそうだろう」と安易に予想がつくと思いますが、本当にそりゃあそうでして、「超絶生きづれーな」と鼻を鳴らす日常はいつになっても揺らがないのです。ふがふが言ってしまうよ。

 まず、職業記入欄での葛藤。「自分、AV女優ですから」と高倉健さんのようにびしっと言ってしまいたいし、恥ずかしさもなく、至って堂々としていたい本音は心のどこかに常にある。しかし世間からしてみれば、「AV女優。うん、社会に適してないね!」としか思ってくれないのであります。「拒否!」の判子が、凄まじいスピードで我という書類に押される。うっ…キビシー!!!

 私の肩書きは、述べてしまえば、述べられた相手の顔色を露骨にさっと変える力がある。その表情は好奇心に帯びるか、若しくは、訝しいものに変わるか。このどちらかであることが大半だ。

 本名を言っただけでこのような反応をされることはないわけだから、自分の名刺ともなる肩書きの、場所によってはあまりにも効力のない様を見れば、簡単に世間との隔離を感じることができる。

 例えば、物件を借りるときの審査が、なかなかおりないというのも難点として挙げられる。正確に言えば、自分が希望する住みたいところを借りるのが、まぁーーーーー大変。決して家に住めないわけではないけれど、「ここ優良物件だな~」と心を躍らしていると「はい、無理っす! 審査おろさないよ!」なんて次々に痛い目にあってしまうのはよくある話。フリーランスの方も、審査の段階で手こずるという話はよく聞きますが、AV女優だなんて個人事業主の中でもとりわけ稀な部類ですから、一筋縄に通ることがなかなか少ないのです。金銭的には何も問題がなくとも、どこかで選択肢を妥協しなくてはいけないだなんて、超絶がびーん。職業記入欄は、ラスボス並みに倒すのに苦戦する厄介項目だ。

 美容室に行っても、サロンに行っても、整体に行っても、施術者に開口一番に聞かれる「今日はお仕事だったんですか?」という質問にもしょっちゅう閉口している。これが辟易する質問第一位だったら、辟易する質問第二位は「何のお仕事をしているんですか?」ですかね。(ちなみに第三位は「最近どこか行きました?」だ。どれも答えたくね~~)

 休みが不定期だからこそ、あるときは平日の昼間、あるときは土日の午後と、来店リズムも一定していない「不思議な常連客」でしかない私に、仕事に関する質問を投げかけてくるのは自然な流れなのかもしれないけど、これがもう面倒くさいったらありゃしない。

 大好きな整体に通いはじめた頃。

「お客様は普段、立ち仕事ですか? 座り仕事ですか?」

 そう聞かれるたびに、どちらで答えるのか真剣に考えてしまっていた。

 勃ち仕事は男優さんのお仕事だしなぁ。え、あ、立ち仕事か。脳内でバグってしまったエロ変換を正しながらきちんと思考する。まぁセックスするときは立ったり座ったりするしなぁ。でも、メディア系の活動日や執筆日は、殆ど座って何かを収録したり書いたりしているよな。あ、でも歌っているときは立っているな。棒立ちだわ。見慣れているイチモツも棒勃ちだけど。いやいや、そういうことではなくて。下品だからやめなさいよ自分…。まぁ総合的に見てみると、うーん、半々ぐらい?

『よく立つし、よく座ったりもするんですけど』
「…? …そうなんですね! 身体のどのあたりがひどいですか?」
『腰痛がひどいです』
「毎日続きますか?」
『いや、月に一回くらいですかね』
「ん?なんか不思議な頻度ですね」
『………。(昨日が月に一度のAV撮影で、内容がお尻フェチで、変な身体の曲げ方をしてしまったせいで腰が痛い。とは言えない。言えるわけないよ)』

 質問を投げるほど、相手の疑問は深まるらしい。「ん? こいつは何の仕事をしているんだ?」という雰囲気が何度も流れる。足つぼを押してくれている指先から、相手の不審な心の声が漏れ伝わってくるような気がする。もはや自分はなぞなぞ提供者になっているのではなかろうか。

 昔、正直に「AV女優をやってるんです」と男性の施術師さんに言ったことがあった。

 数秒の沈黙が流れ、
「エッ! マジすか…エッ………なんていう名前でやってますか?」
『(名前は言いたくない…)』
「あれ、見たことあるような気が…」

 と問い返され、予想外の反応に俯いて黙り込んでいると、今度はしつこく「あの~名前、教えてくれませんかね…? 名字だけでも…」と聞いてくるもんだから、うっかり本職をカミングアウトしたことを、ものすごく後悔したんだった。相手が女性だと安心していても、こちらが凍るほどのドン引き顔を見せられることもある。

 その経験もあって、「性別問わず本当のことを言っても誰も得しないし、何より、自分が一番嫌な思いをするだけじゃないか」と諦めて、嘘の職業を述べ、適当にシナリオを並べ立て、辻褄の合わない箇所や、生じた矛盾の回収に苦戦するのだ。

 自分の肩書きがまっとうに、そして有効に使えるのは実際に仕事をしているときや、そこで関わる人達との親密な会話内だけであって、プライベートでは人とのコミュニケーションを阻害する要因になり得てしまう。自分がどれだけ誇りを持っている仕事であっても、適した環境でなければ酸素濃度も薄く、苦しくて生きにくい。理解できない仕事の上位に君臨してしまったのだから、扱い方や、返す言葉が難しくなってしまうのは仕方がない。それは紛れもない事実だ。

 大人になってから何者にでもなれる自由と引き換えに、「どうしてその仕事を選んだのか」という問いが否が応でも返ってくる。OLさんにはその質問をあまり投げかけない癖に、AV女優だと「その疑問を抱くのは当然でしょう?」とまっとうそうな顔で普通に聞いてくるのである。相手を納得させる理由を述べなければならないという使命感が常に漂っていたりもして、至極重い気持ちにさせられる。

 幼い頃、自分が欲しいものをリストアップし、「どうしてこれが欲しいのか」を言語化して親を説得していたのを思い出した。ただ、選ぶだけではだめなのだ。選んだあとの自分のプレゼン次第で、親は「買ってあげるべきもの」と「買わなくていいもの」の二つにバシッと分けてジャッジを下すのだ。欲しいだけ、やりたいだけ。その好奇心があってこそ何かしらのチャンスを掴むことができるわけだけれど、選んだあとの方が、実は重要な問題になっていったりもする。

「この玩具は高価であるというデメリットがあるけれど、購入したことにより自身の感受性が高まり、周りの友達との話題に参加できるというメリットがある」

 でも。そんなプレゼンをしてせっかく買ってもらった代物が、「実はみんなが欲しがらないようなもの」だったとき、はて、どうしたらいいのだろうか。つまり、「周りの友達との話題に参加できる」というメリットが消え、「自分だけが楽しむもの」というデメリットに一気に変わってしまったのである。もちろん、購入箱から取り出して少し遊んでしまった玩具を、返品することはできないのだ。「嘘のメリットじゃない!」と憤慨する親への説明も当然つかなくなる。

 働くおっぱいは考える。ほかの人が欲しがることのない玩具を、返品不可能にしてしまったら、どうすべきなのだろうか。使い続けるのか。それとも、誰にも見られない遠くの場所に行って捨てるのか。七年近く考え続けて辿り着いたのは、私なら、それを使い続けたいと思ってしまっていることだった。

 そのうち手垢にまみれ、いい感じに年季が入り、色にも深みが出て、「なんかこれって、変だし誰も選ばないようなモノだけど、よく見るとちょっと味があっていいよね」だなんて、一人にでも言ってもらえたらいいじゃないか。自己責任の回収は、とことん自分が選んだものに寄り添って、丁寧に使い切ってしまうことなのかもしれない。肩書きとは、簡単な気持ちで選んだものでも、その後どのように扱い、どのような最後を迎えるのか試されているのだ。つまり、途中経過と最終形態をいろんな人に見つめられながら背負っていかなくてはいけない十字架へとなり得ることもあるのだ。

「昨日21Pしてフェラをしまくって、うっかり顎が外れそうになったんですよ~腰も超痛っすよ~~~」だなんて下品なこと、施術師さんには口が裂けても言えないけれど(顎は外れそうになるが)、肩書きを胸の奥に秘め、これからも嘘のシナリオを表面では繕いながら、しっかりと丁寧に年数を重ねて、こさえていこう。エロ屋、ときどき“通信販売関連のOL”という日々も、そんなに悪くはないような気がする。OLとしての演技も板についてきた。うん。これでいいと思う。

バナーイラスト=スケラッコ

執筆者プロフィール
さくら・まな●1993年3月23日、千葉県生まれ。工業高等専門学校在学中の2012年にSODクリエイトの専属女優としてAVデビュー。15年にはスカパー! アダルト放送大賞で史上初の三冠を達成する。著書に瀬々敬久監督により映画化された初小説『最低。』、『凹凸』、エッセイ集『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』、スタイルブック『MANA』がある。

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