暗闇での対話が、社会を静かに変えていく―ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン、挑戦の軌跡

社会

更新日:2015/4/9

ダイアログ・イン・ザ・ダーク(以下DID)ほど、実際に体験してみなければわからないイベントを、私は他に知らない。一筋の光もない純度100%の暗闇の中を、視覚障がい者であるアテンド(案内人)に助けられながら、8人のユニット(グループ)で歩き回り、さまざまな体験をする、というものだ。1988年にドイツで生まれたDIDに衝撃を受け、日本開催を主催した志村真介さんの著書が出版された。『暗闇から世界が変わる ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦』(志村真介/講談社)だ。

1993年、日本経済新聞の小さな囲み記事からDIDの存在を知ってからすぐに「ぜひ日本でも」と奔走を始めた志村さん。現在こそ東京と大阪でいつでも体験ができる日本版DIDだが、その道のりには並々ならぬ苦労があった。また、寝食を忘れて打ち込んだDIDが、志村さんの人生そのものを大きく変えてゆくことにもなる。組織を牽引しながら悩みぬいてきた自らの姿が、ここにはとても率直につづられている。

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私は昨年の秋にDIDを初めて体験した。帰り道では、東京の街の匂いが突き刺さるような新鮮さをもって鼻に飛び込んできた。また、アテンドを担当された方とざっくばらんに視覚障がいについて話せたことも貴重だった。まず、目が見えない人と知り合う機会がDIDの外ではほとんどない。幸いにも私には視覚障がい者の知人はいるのだが、「好みの異性をどこで選んでいるのか」なんて質問は、なんとなく遠慮してできなかったのだ。「遠慮」というところにもきっと、隠れた差別意識があるのかもしれない。

明るい場所では、目が見える人が「助ける人」で、目が見えない人は「助けられる人」と固定された立場が、暗闇の中では逆転する。進むスピードは実に1/10に落ちてしまうのだ。白杖を手に必死に歩いた結果、得られたものは多かった。何より、DIDは「目が見えないかわいそうな人たちの状態を疑似体験するもの」ではなく、お互いの多様性を認め合える「対等な自由な場」なのだ。これこそが、実際に体験していない相手には説明しづらい点でもあり、素晴らしい点でもあるのだと感じた。

たった1度の参加で驚くほど多くのことを得られるDIDは、訪れた多くの人々に絶賛されている。その背景には、匂いにこだわって北海道の森で桜の落ち葉を集めてきたり、不審者に間違えられながらも大井競馬場から干し草を持ってきたり…と、「本物」をどこまでも追求する志村さんたちの探求と工夫があった。来日したDID発案者のハイネッケは、日本人の繊細な感覚で丁寧に作られたDIDを絶賛した。今でも日本版DIDは四季によって内容が変わる、世界でも貴重で珍しいものとなっている。

2009年3月20日、東京・外苑前での常設イベント化がスタートしてから6年が過ぎた。まだ短期イベントだった時代、1人のアテンドが「明日からまたふつうの障がい者に戻ります」と打ち上げで発言したことが、常設化の大きなきっかけになったという。アテンドの仕事を通じて多くの人々から感謝されていた生活は、イベントが終われば一転してしまう。「アテンドたちをふつうの障がい者にはさせない。いや、そもそもそんな人は存在しない」という志村さんの強い思いがあった。

DIDが目指すのは「静かな革命」だ。暗闇で一緒に行動した8人が、その体験を胸に日常生活に戻り、それぞれが多様性を認める行動を始めることで、社会が少しずつ変わってゆく。これまでにDIDに参加した人の数は、合計で15万人にのぼる。この15万人は、それぞれいる場所で半径3メートルの社会を変える可能性を秘めている人たちなのだ。ここ数年、志村さんは「ソーシャル・イノベーター」と呼ばれることが増えたという。DIDというツールを使って、静かに、しかし確実に社会を変え続けているのだ。その挑戦は今日も続いている。

暗闇の中で固定観念をリセットし、そこで出会った人々と対話することは、自分自身を変えるきっかけにもなる。他では味わえないほど豊かな体験のできるDIDを、1人でも多くの人に味わってみてほしい。そう改めて思った。

文=川澄萌野