20世紀最大の感染症を、当時の文豪たちはどう表現したのか。コロナ禍を生きるヒントがそこに

文芸・カルチャー

更新日:2021/9/22

文豪と感染症
『文豪と感染症』(永江朗:編/朝日新聞出版)

「緊急事態宣言が再び発令」
「東京都の一日の新規感染者数五千人以上に」
「医療ひっ迫」

 毎日、ニュースは新型コロナによる緊迫した現況を伝え続ける。

 3月半ば、筆者も発症した。診断日の新規感染者数が300人ちょうどだったのを覚えている。あのときですら深刻な状況だった。

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 でも、パンデミックは人類史上初めてのことではない。過去に感染症が流行したとき、人々はどうしていたのか知ることができれば「今の状況」がより浮き彫りになるのではないかと感じた。

 ヒントがほしいと手に取ったのが『文豪と感染症』(永江朗:編/朝日新聞出版)である。

 タイトルの「感染症」は大正時代に日本でも発症者が激増したスペイン風邪を指す。世界で四千万人が亡くなり、日本国内では感染者数二千万人以上、死者は四十五万人といわれている。

 編者の永江朗さんも述べているが、不思議なことに、やがてスペイン風邪は人々の記憶から消えた。しかし、当時の文豪はまざまざとスペイン風邪の「リアル」を文章で綴った。

 与謝野晶子は評論『死の恐怖』で予防をしないことの愚かしさを、子を持つ親の立場から嘆く。

“私の死に由って起る子供の不幸を予想することの為めに、出来る限り生きていたいと云う欲望の前で死を拒んでいるのです”

“世間には予防接種をしないと云う人達を多数に見受けますが、私はその人達の生命の粗略な待遇に戦慄します。自己の生命を軽んじるほど野蛮な生活はありません”

 与謝野晶子が生きていて現在の新型コロナ流行に直面したとしたら、同じことを言ったのではないかと思う。

 谷崎潤一郎は小説『途上』でミステリーの要としてスペイン風邪を描写、芥川龍之介は実父をスペイン風邪で亡くしたうえに自身も二度感染、病の苦しみと、仕事に穴をあけられないフリーランスの作家としての辛さを『書簡』で告白した。

 大正時代は今よりも医療が進んでおらず、結核という致死率の高い病もあって「死」は身近なものだった。それでも、スペイン風邪について作家たちは書かずにいられなかった。

 詳しい例をひとつ挙げたい。

 本書には菊池寛の小説『マスク』が掲載されている。主人公は、内臓が弱い男性である。スペイン風邪を発症したら死ぬと怯え、自分や同居人を極力外出させず、過酸化水素水でうがいをする。どうしても外出しなければならないとき、つけるのは「ガーゼを沢山詰めたマスク」だ。

 流行が一度去り、本作の主人公はとうとうマスクを捨てる。その後再び感染症が流行する。だが主人公はもうマスクをつける気にならなかった。

 このあたりから、主人公のマスクに対する複雑な感情が表れ始める。

“自分が、マスクを付けて居るときは、遇にマスクを付けて居る人に、遭うことが嬉しかったのに、自分がそれを付けなくなると、マスクを付けて居る人が、不快に見える”

 そんな気持ち以上に、主人公が感じたのは以下である。

“不快に思ったのは、強者に対する弱者の反感ではなかったか”

 世間がマスクをつけなくなる中、マスクをつけている人を勇敢だと感じ、圧迫された気持ちになったのだ。

 約100年の時を経て現代。新型コロナ流行によって以前のように気軽な外出が難しくなり、多くのイベントが中止になった。辛くても悲しくても、感染予防を続ける自分を「勇敢」と思う。時代を超えて菊池寛が私たちを励ましてくれているのではないかとすら思える。

 20世紀最大の感染症とも言われるスペイン風邪から学ぶことは、私たちの想像以上に大きい。

文=若林理央

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