「椎名へきる」単独インタビュー。声優・歌手としての軌跡を辿る【前編】
更新日:2014/4/8
■中学生のときにハッキリと「声優になる!」と決意
−−もともと中学時代から声優を目指されていたということですが、きっかけはどういったところにあったんですか?
椎名「小学3年生のとき、図書館で野沢雅子さんたちが載っていた本を読んで、はじめて声優というお仕事を知りました。そのあと中学2年生の頃に、ガンダムの作画監督だった安彦良和さんの『アリオン』を観たんです。味わったことない感動というか、自分の中で『アニメでもこんなに感動できるんだ!』という大きな波が来て。その頃から憧れ続けて、中学の卒業文集には『4〜5年後に声優になります』とハッキリと書いていました」
−−卒業文集に“4〜5年”と書いたのは理由があったんですか?
椎名「タイムリミットを4〜5年と決めていたんです。そのあいだに声優になれなかったら、諦めようと思っていました」
−−もし実現しなかったら、何を目指されていましたか?
椎名「何パターンも考えていました。もともと演劇や芝居が好きだったんですね。何かしら演じることへ携わりたいという強い気持ちがあったので、声優になれなかったら、劇団へ入りたいと思っていました」
▲小さな頃から声優に憧れ続けて、夢を実現させた椎名さん。インタビュー中、丁寧に過去と現在を語ってくれた。
■まるで“浦島太郎”のように流れていった時間
−−過去と現在で、仕事や周りの環境などに変化はありますか?
椎名「今のほうが物事を広く見渡せるというか、周りの環境だったり、仕事への姿勢や、自分にとっての得意・不得意も見極められるようになりました。以前は本当に睡眠時間もなく、追い立てられるようにアフレコやレコーディングなどを淡々とこなしている感じだったので。デビューから10年目くらいまでは、自分の中では“1週間くらい”にしか感じられなかったですね」
−−あるときから楽になった瞬間があったんですね。
椎名「2005年〜2006年くらい。デビューから15年目くらいに、物事をちゃんと見渡せるようになったんです。その頃までは本当に“孤島”だったというか、他の方々が何をしているかよく分からなかったし、ようやく今になって色々なお話ができるようになったと思います。あと、ちょうどそのとき、ふと自分が“浦島太郎”みたいだって気づいたんです。本来なら、20代前半〜30代になるまでのあいだって、成長の段取りがあると思うんです。でも、私の中の時間軸は、20代前半のまま止まっていて。そこからは本当に一瞬で、タイムスリップみたいに不思議な感覚を覚えました」
−−デビューして一気に忙しくなる過程で、不思議な感覚が芽生えたんですね。
椎名「時代はバーって流れているけど、自分の時間だけが止まっているんですよ。これまでの場面ごとに、ひとつひとつの決断をしてきた感覚はあるんです。ただ、落ち着いて演技に取り組むとかじっくり何かを考えるとか、そういった部分については足りなかった部分もあったかなと思います」
−−もし今、デビュー当時の自分に会えるとしたらどういった声をかけますか?
椎名「たぶん、声をかけないんじゃないかな。やっぱりそのときの流れはあると思うので、選んだ時点で自分の決断なんだと思います」
▲声優デビューから22年。デビュー当時から現在まで、そのときごとの心境などを日記に綴り続けているそうだ。
■声優として体験してきたコトやうれしかったコト
−−アフレコ現場での過去と現在における変化はありますか?
椎名「以前は、声優さんがスタジオでそろってから初めて映像が流される形だったんですね。テスト、ラステス、本番という流れが主流だったんです。今は現場によって、アフレコの1週間くらい前に練習用のDVDが渡される場合があるんです。映像の中でセリフや秒数が表示されるものですね。だから、シーンごとで一人ひとりが別々に収録するような現場もありますし、むしろ全員が揃う機会が少なくなりました」
−−声優さん同士の関係性に変化はありますか?
椎名「以前は、ベテランの方が大勢いて若い子がその中に一人みたいな雰囲気だったんですね。今は、若い子たちの中に大先輩の方が一人、二人いるというのが多くなった気がします」
−−例えば、アフレコ中や前後に交流する場面もあるかと思いますが、そういった部分は何か変わりましたか?
椎名「現場でのコミュニケーションも変わってきたかなって。以前は、先輩方やスタッフのみなさんと、アフレコのあとに食事へ行くことも多かったですね。その中で演技論だったり、たがいに語り合うのが当たり前のようにありました。最近は、現場のみんなでいっしょにどこかへ行くのが少なくなった気がします。若い子たちは、LINEやTwitterでコミュニケーションを取りつつ、同世代で集まるというのが主流になっているみたいです」
−−記憶に残る、アフレコの失敗談はありますか?
椎名「デビューしたての頃、アフレコ現場は『靴音を立ててはいけない』と聞いて。だから、どの現場でも“靴を脱ぐ”ものだと思っていたんです。でも実は、スタジオによってルールが異なるので、ある現場で先輩から『何で靴脱いでるの?』って言われたことがあったんです。『音立てちゃいけないと思って』って答えたら、『ここは靴履いていいんだよ』といわれて恥ずかしかったですね(笑)」
−−声優としてうれしかった瞬間はありますか?
椎名「いっぱいあります。小学生のお子さんから、自分が演じたキャラクターの名前で「〜ちゃんになりたい!」っていうお手紙をもらったときはうれしくて、『子供に夢を与えられたんだな』っていう実感が湧きました。また、自分の中では“椎名へきる本人”ではなく、私が演じたキャラクターに共感してもらえたり、魅力を感じてもらえた瞬間というのがやっぱり“役者冥利に尽きる”と感じます」
−−演技においてご自身で心がけていることはありますか?
椎名「相手のセリフを聞くことですね。自分がしゃべるよりも、相手のセリフを聞いて受け答えをする。相手の出方や距離感とか、作品やシーンごとの雰囲気に合わせて演技しようと心がけています」
▲椎名さんのお話から、声優業界におけるデジタルとアナログの対比も感じさせられた。
■声優をめざし、夢を追いかける人たちへのメッセージ
−−最後に、声優をめざす人たちへのメッセージを頂けますか?
椎名「どれだけ本気になれるか、ということだと思います。『本当に自分はやりたいのか?』と自分自身に語りかけつつ、何が足りないのかを客観的に見ることが大切ですね」
−−小さな頃からの夢を実現した1人としても、お聞かせ願えればと思います。
椎名「実現するためには“運”も大切だと思うんです。それをつかむまでに、例えば、練習量や経験っていう“貯金”を蓄えておくのが必要かなって。声優の仕事も幅広くなっているけど、なるべく多くの引き出しを持って、求められたときに応えられるようになるのがプロとして続けていくためには必要だと思います」
ゲームやアニメへの出演をはじめ、ライブ活動も精力的にこなす椎名へきるさん。歌手デビュー20週年を迎えた2014年も、さらなる飛躍を図れるよう応援していこう。
今回は、声優として椎名さんが歩んできた中での軌跡をたどってきた。後編では、歌手としての軌跡や、仕事へ駆ける情熱、プライベートの一面へ迫ってみるので乞うご期待!
椎名へきる
・オフィシャルサイトhttp://www.hekiru-shiina.jp/
(取材・文=カネコシュウヘイ、撮影=山本哲也)