クマを撃った女子大生ハンター。この判断は正しかったのだろうか――? 直木賞『ともぐい』の作家が描く渾身の狩猟小説【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2026/2/20

夜明けのハントレス
夜明けのハントレス(河﨑秋子/文藝春秋)

 2025年は、クマに関するニュースが多かった。

 市街地にまで出没したことから、害獣として駆除されるケースもあったが、このことに関し「かわいそう」「いや人間の生活が一番だ」等、様々な意見があったように思う。

 ところで、「クマを撃つ側の気持ち」を、改めて考えたことはあるだろうか?

夜明けのハントレス』(河﨑秋子/文藝春秋)は、「狩猟」という動物の命を殺める行いを、自ら「したい」と思った、若い女性の物語だ。

雑誌をきっかけに狩猟の世界へ

 大学生のマチは、彼氏の家で狩猟雑誌を目にしたことから、狩猟に興味を持ち始める。なぜ自分が惹かれるのかも分からないまま、ベテランハンターの新田に連れられ、山中で実際に鹿が撃たれる現場を目の当たりにする。

 その瞬間の「しっくりきた」感覚から、マチは狩猟の世界に飛び込むことに。

 着々と必要な講習を受け、試験に合格し、散弾銃を手に山中へ入るようになるマチ。見事鹿を仕留め、ますます彼女は狩猟の「言葉にできない」引力に惹き込まれていくのだが、ある時、クマの命を奪う。

 そのクマは幼く、弱っていた。それからマチは、本当にこのクマを撃った判断が正しかったのか否か。悩むようになり……。

 本作は、「狩猟をするという選択をした人」の解像度を、格段に上げてくれる一冊だった。

 個人的に、私(この記事を書いている筆者)は、狩猟をしたいと思ったことがない。自らの手で生き物の命を奪うなんて怖い。怖過ぎる。撃った動物を解体するとかも、無理過ぎる。

 害獣駆除という名目がある場合は別として、「趣味」なら、「何のためにそんなことをするのか」と、正直そんな風に感じていた。

 だが本作は、私の安易な意見をはるかに凌駕した新しい世界を見せてくれた。すさまじくも、爽快感のある物語だったと思う。

「撃つ側の存在が試される」と、作中では書かれている。

 撃たれる動物にとって、ハンターが女か男か、ベテランか新人か等、一切関係ない。撃ち手の「存在」そのものが、むき出しになるのだと。

 マチは実家が裕福で両親の愛情も理解もある家庭に生まれた。その上スタイルもルックスもよい。端から見たら、かなりの強者、順風満帆な人生を送っている。

 しかし、マチには言葉にできない鬱憤があったように思う。

 自分に向けられる煩わしい感情――嫉妬、偏見、異性からの好意的な感情、それが反転した憎しみの感情、努力しても認められない歯がゆさ等、「他人に勝手に評価される」ことに、根深い苛立ちがあったのではないだろうか。

 だからこそ、そのような評価など一切関係ない、「自分そのものが試される」狩猟にのめり込んでいった。彼女はその感覚を「冷たい炎が燃えるようなあの孤独」と言ったりしているが、それだけでは到底、言語化しつくせない「何か」が狩猟にはある。

「自分という存在そのもの」と向き合う

 一つしっかりお伝えしておきたいのは、本作は狩猟を肯定するものでも、否定するものでもなく、好き嫌いを論じるものでもないということだ。

 クマがかわいそう、かわいそうじゃない。人間が上で動物が下、そんな二元論的な比較をして、「善悪を主張する」物語ではなく、そういった思考を全て超越した瞬間を、鮮明に描いている。

 終盤、マチがクマと対峙するシーンの臨場感は、すさまじかった。

 クマの息づかい、風の音、土や草木の匂いすら身に迫ってくるようで、ページをめくる手が本当に震えてしまった。

 この時読者は、社会的な評価や見た目、実績などのあらゆるしがらみから解放され、「自分という存在そのもの」と向き合うことになる。

 その緊張、昂揚感、圧倒的な孤独、自然との対峙、生への激しい実感など――マチが魅了された「狩猟の引力」を、疑似的に感じられるはずだ。

文=雨野裾

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