戦慄の「ディストピア時代物」が満を持して復刊! 恐ろしい掟のある「やさしい藩」で事件が…。1968年発表の児童書が、現代の大人に刺さりそうなワケ【書評】
PR 更新日:2026/2/20

ちょんちょ、ちょんまげ まげ、ちょんちょ ころり、ころころ 首、ちょんちょ――どこか不穏な手毬唄から始まる『ちょんまげ手まり歌』という児童文学をご存じだろうか。京都の児童文学者・上野瞭氏(1928-2002)が1968年に発表した本作は、多くの少年少女を戦慄させ、「日本児童文学の歴史を変えた」という伝説的な「ディストピア時代物」。復刊をのぞむ多くのリクエストを受け、このほど本書が中公文庫で復刊されることになった。
6歳になると訪れる、残酷で不条理な「伝統」
舞台は黒いユメミ草の花咲く「やさしい殿さま」が支配する「やさしい藩」。勇ましい戦の夢を見させるユメミの実が特産物で、それを他藩の食べ物と交換して生きのびる山間の貧しい集落だ。藩には「山んばに食い殺されるので、山には入るな」という掟があり、むやみに山に入らぬよう、子が6歳になったとき「やさしいむすこ」「やさしいむすめ」として足を刀で不自由にする伝統があった。ただし全ての子どもが「やさしいむすこ/むすめ」に選ばれるわけではなく、選ばれなかった子は殺されてお花畑に埋められてしまう。そんな不条理にも「全てはやさしい殿さまが自分たちを思ってやってくださること」と誰も疑問を抱かない。むしろ疑問を持ち、自分の考えを持った者は「ヘソクイヤマイ」にかかったとして抹殺されてしまうのだ。
物語の主人公、池之助の娘・みよも「やさしいむすめ」に選ばれたため6歳で足を切られてしまう。いくら「おめでとう」と言われても、みよが感じるのは激しい痛みばかり。母のゆりは「そのうち痛くなくなる」と当たり前のようにみよの訴えを受け流す。同じ頃、父の池之助はある恐ろしいものを目撃して寝込んでしまう。うわごとを言いながら苦しむ池之助の姿にただならぬものを感じるみよだったが、やはりゆりは「疲れているだけだ」と受け流し、夫の代わりに畑に出てユメミ草を育てる。そして月日が経ち、お殿様の前でのユメミの実の出来のおためしが始まる――。
時代物でありながら、現代にも通じるメッセージ
ちょんまげ姿の侍に藩というから、時代は江戸時代の設定だろう。外部とは隔絶され、時間が止まったような貧しい村の風情は薄暗くて不気味だ。にこりにこり、ぎっちらぎっちら、ずるずる、ぎくんぎくん、しくしく、きりきり――独特の擬音の手触りも胸の奥を妙にザワつかせ、黒い花のほかに血の赤しか色がないような世界はドロりと生臭い。物語には「人喰い山んば」というバケモノは出てくるが、それより怖いのは人間だ。異論を認めず、逆らえば死。昔話というより寓話的で、「人間社会というものはこういうもの」と超俯瞰感覚で教えてくれるが面白い。
ちなみに本書は1968年の初版のあと、1980年3月に「名作の愛蔵版」(理論社)として改版され7刷(1986.12)まで刊行されたという。本作にも収録された、愛蔵版のためのあとがきに「これは『昔の話』ではなく『現代の物語』なのである。ただ誰も、こういう形で『現代』を書こうとしなかっただけだと、わたしは考えている」と著者は記しているが、その真意は今こそ通じるのかも。現代人の胸にもぞくりぞくりと染み込む物語だ。
文=荒井理恵
