人気バレリーナの靴を男たちが競り落とし鍋で煮て食べる? 何でもありの《闇鍋小説》『サンクトペテルブルクの鍋』【坂崎かおる インタビュー】
公開日:2026/2/23
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年3月号からの転載です。

執筆中、場面や人物の映像は、あまり浮かばないという。
「それより私はリズムと破調ですね。文体や文の長さ、漢字のひらきとか、文章や言葉自体の見た目みたいなところが先にくるんです。詩が好きなので、そこは何となくこだわってしまうところなのかもしれません」
ページを開いたとき、文字そのものが蠢き、余白がせり上がってくるような独特の感覚はそんな執筆作法からくるのかもしれない。SF、ファンタジー、百合小説、ミステリー、そして『海岸通り』に続き、『文學界』掲載の「へび」が芥川賞候補作にと、作品の領域は作品を重ねるごとに広がるばかり。そんな坂崎さんが「正直、自分でも、どういう話になっていくのだろう? と思いながら書いていた」と語る本作は、どんな話? と訊かれてもなかなか説明しがたい。19世紀のサンクトペテルブルクで鍋を囲む3人の男たち。ぐつぐつ煮えているのは当時を代表するバレエダンサー、マリー・タリオーニのトウシューズ。そしていつしかその鍋にはピョートル1世、高崎白衣大観音、令和の大学生などの具材が投げ込まれ――。
「河豚は食いたし命は惜しし、じゃあ、誰かに食べさせてみようという落語の『河豚鍋』を下敷きに1万字程度の掌編で書いたものがあったのですが、編集さんから“これ、面白いから長くしましょう”と言われ、長く書いていったらこんな感じになっていきました。アイデアは、19世紀ヨーロッパを席巻していたタリオーニというバレリーナの靴を男たちがこぞって競り落とし、鍋で煮て食べたという逸話を読んで、単純に面白いなと思ったことから。私はプロットを立てないので、いつもワンアイデアからどうやって話を広げていくか、何を掛け合わせれば、どれくらい面白くなるのか、というところを意識しながら書いていくんです」
〈今回に限って言えば、あなたには一九世紀ロシアの男たちを、炬燵に入って鍋を囲む大学生で想像してほしいのだ〉――。突如として読者には、そんな水が向けられる。
「タリオーニがいた頃のサンクトペテルブルクのことを調べていたとき、岩倉使節団の『米欧回覧実記』を読んだのですが、当地に神女の像があるというくだりが出てきたんです。そのとき、そういえば高崎には観音像があったなと。そして日本各地にある観音像が不良債権のようになっているというニュースで聞いた話も記憶から現れ、これをうまく掛け合わせられないかなと思いながら、高崎という街のことを調べていくと、明治の近代国軍の創設から太平洋戦争終結までずっと存在していた高崎連隊というものに行き着き、高崎観音を建立した地元の名士・井上保三郎の、なぜか誰も悪口を言う人がいない人生が出てきて、“なるほど、なるほど”と思う中、次々と具材が舞い降りてきました。私は資料を調べるのが好きなので、そういうものを読んでいくうち、この話は男たちの話であり、戦争の話であり、女たちの話だな、ということが見えてきました」
風呂敷はどんどん広げられていく。過去も未来も、場所も人も、すべてをごちゃ混ぜにしながら。
ちょっと冷や水を浴びせるのが好きなんです
次々章が変わっていく中、ほぼほぼ登場してくるダルマ、コウモリ、オオハシという3人の男たち。だが語り手は〈その中に私はいない〉と言う。〈私は誰なのか〉と読者に問いかける彼は、〈おそらくこれを読むあなたは日本人であり、ドストエフスキーとチャイコフスキーの区別もつかないような平々凡々とした輩であることは想像がつく〉というような人を食った言葉を連発する。
「大言壮語を言う人が好きなんです。〈私〉は大した人間でもないのに、いちいちいろんなことを言う、なかなか好きな感じのキャラクターでした。もしかしたら私もそういうところがあるのかもしれない(笑)。ねちねち考えたりするところがあるので」
そんな〈私〉のいる世界には、演劇という具材も入ってくる。
「場面がシームレスに変わっていくところは、ちょっと舞台っぽさがあるかなと。いわゆる小劇団みたいなところの舞台だと、書き割りだけでやったり、とりあえずここは草原だ、ということにして上演したり、舞台上には、いろんな時代や場所が自由自在に出てくる。そんな演劇っぽさを感じながら書いていたのかなと思います。そももそバレエも演劇のひとつなので、そこにも引っ張られたのかなと」
〈ようやくあなたは、自分が観客席に座っていたことに気がつく〉〈この物語は、あなたの物語でもあるのだ〉。大言壮語しまくる〈私〉は、ページを繰る読者の手を一瞬止めるような言葉も時々落としていく。
「私は結構、意地悪な作家なので、読んでいるところに、ちょっと冷や水を浴びせかけるようなことが好きなんです(笑)。趣味が全然ない私は、暇さえあれば小説を書いていて、いつも楽しく書いているのですが、たとえば『へび』は、障がいという題材を扱ったこともあり、文体は少し気を使っていました。そういう小説もあるけど、『サンクトペテルブルクの鍋』は、言ってしまえば、何でもありな世界にしたので、何でも書くことができて本当に楽しかった。我ながら、いい鍋の器を作ったなと思いました。そこで世界と物体がうまくフィットしたなと」
ジャンルを跨いでも自分の中では繋がっている
こんな小説も書いているんだ? という驚きを味わえるのも、坂崎かおる作品を読んでいく醍醐味。まさに闇鍋のような本作は、そうした多種多様な作品のエッセンスが宿る《坂崎アソートボックス》のようにも感じられる。
「自分の中では奇を衒おうとか、全然、違うものを毎作書いていこうという気持ちはないんです。まず書きたいものがあり、それがなんとなくジャンルを跨いで分かれていってしまう感じなんですけど、自分の中では結構、繋がっている部分が多いかなと思っています。本作は、出し惜しみをせずに書いたので、そういう意味では、坂崎がきゅっと詰まった感じではあるかもしれないですね。変な語り口とか、変な感じはあるんですけど(笑)」
まるで《坂崎かおるユニット》というものがあって、それぞれのメンバーが書いているとすら思える作品群の中で、「繋がっている」と思うところは何だろう?
「出てくる人間も、物語も、自分ではあまり別のことを書いている感じはなくて。『箱庭クロニクル』に収めた『ベルを鳴らして』という一編には、邦文タイプライターにこだわる女性が出てくるのですが、そういう何か、人生や世界においてこだわる、そこにコミットせざるを得ない人たちが、私の中で“繋がっている”ところなのかなと。そして世界に、事象に関わらざるを得ない人たちが、その人たちなりになんとかやっていこう、という感じもまた、繋がっている部分であるし、私自身、そこが“人生って面白いんだよね”と思っているところでもあります」
目まぐるしく変わっていく舞台、人、事象を追い、〈私〉の言葉に翻弄されながらページを繰っていくとき、初期衝動のような感覚が蘇ってくる。あぁ、小説ってこんなにも、自由で面白いものだったんだ、と気付いた日の、あの尊い感覚が。
「私の小説はいろんなタイプがあるので、“よくわかんなくて、つまらなかった”と言われることもあって。でもそんな人も結構、最後まで読んでくれているんです。それって、小説にとってすごく大事なことだと思っていて。意味わかんないけど、なんか勢いあるなと最後まで読んでいただけたらうれしいですね」
取材・文:河村道子 写真:首藤幹夫
さかさき・かおる●1984年、東京都生まれ。「リモート」で第1回かぐやSFコンテスト審査員特別賞、「噓つき姫」で第4回百合文芸小説コンテスト大賞。既刊に『噓つき姫』、第171回芥川賞候補作『海岸通り』、第46回吉川英治文学新人賞受賞作『箱庭クロニクル』。『文學界』2025年10月号掲載の「へび」が第174回芥川賞候補作に。

『サンクトペテルブルクの鍋』
(坂崎かおる/小学館) 1870円(税込)
男たちの眼前でトウシューズが煮えていく。靴の主はマリー・タリオーニ。19世紀を代表する、ヨーロッパの名ダンサー。その伝説の靴を、愛好家たちは競り落とし、食べようとしていた。気づくとなかにはピョートル一世、井上保三郎、高崎の観音像、令和の大学生まで、洋の東西、過去現在を超えた食材が投げ込まれていた――。世界文学の門をくぐり、供した一皿。
