金原ひとみの傑作長編『デクリネゾン』。 貪欲な自分を棄てられない女たちの剥き出しの生命力に痺れる【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2026/2/26

デクリネゾン
デクリネゾン(集英社 / 金原ひとみ

 誰だって、不幸になるために生きているわけじゃない。あえて間違った道に進もうとしているわけでもない。そのときは「これがいちばんいいと思った」あるいは「そうするしかなかった」道を選び続けた結果、どうしてこうなったんだろうと首をかしげてしまう。それが人生であり、逃れようのない「その人らしさ」でもあるということが、金原ひとみさんの小説『デクリネゾン』(集英社)を読んでいると、まざまざと迫りくる。

 主人公の志絵は、離婚歴2回の作家で、中学生の娘と二人暮らし。ひとまわり以上年下、大学生の彼氏がいて、酒と食の好みが合って定期的におしゃべりできる作家の女友達が二人もいる。はたから見れば、世間の規範にとらわれず自由に生きている自立した強い女性だけれど、本人はそういう自分を決してすばらしいものとして捉えているわけではないし、その自由を啓蒙したいわけでもない。思い描いていた幸せから弾かれた行動をとってしまう自分をもてあましているし、この先の自分がどうなってしまうのか、常に不安も抱えている。それでも、結婚していようが娘がいようが、恋をするときはしてしまうし、小説を書くためならなんだって糧にしてしまおうとする貪欲な自分も捨てられない。

 それは一見「わがまま」に映るだろう。実際、コロナ禍に恋人の蒼葉が家に転がり込んでくることになり、それをきっかけに娘の理子が実父(元々夫)の家に越した、とインタビューで語った志絵は炎上し、批判にさらされた。もちろん、友人から「自分を愛していた二人の父親を、理子ちゃんは志絵の恋愛衝動によって失ってきたんだよ?」と指摘されたように、理子にだってきっと複雑な葛藤はあっただろう。でも同時に彼女は、志絵からの愛情を「怖い」と言うほど重く実感しながら、見捨てられるかもしれないという恐怖とは無縁に、のびのびと生きてもいる。彼女は彼女で、外的にも内的にも、コントロールのできない衝動に身をゆだねたり反発したりを繰り返しながらきっと、理子らしい人生を送ってゆく。

 そういうものなのだ、と思う。〈原子は曲がると考えないと説明がつかないような事象がこの世にはたくさんあるんだって〉と志絵が言うように、どんなに合理的に生きていてもそれだけではまかり通らない選択を人は重ねていくし、年を重ねれば重なるほど「こうやって生きるしかなかった」としか思えない場所に辿り着いていく。思春期の理子との対峙や、若すぎるというだけではない、人間として本質的なものがあまりに違う蒼葉との関係を続けていくことを通じて、志絵はその「どうしようもなさ」を受容し、そしてまた同じことを繰り返すだけかもしれない未来へと歩んでいく。

 その「どうしようもなさ」がコロナ禍を通じても描かれているのが、またとてもいい。何をどう気をつけていたって、誰かの正義と正義はぶつかりあい、パンデミックが起きるときは起きてしまう。そんな不条理な世界において、自分はどこまでいっても自分でしかない。そう悟り、欲するままに飲み、食べ、生命力を剥き出しにする人間の姿を目の当たりにした者もまた、生きようという気力が湧き上がってくるのだ。

文=立花もも

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