【村上龍の格言】「美人は三日で飽きる」というのはブスの自殺を救うための嘘。作家・村上龍の現代では考えられない言葉&最新作の格言6選【書評まとめ】

文芸・カルチャー

公開日:2026/3/23

 村上龍ほど時代の流れをいち早く察知し、その時流をうまく乗りこなす作家もいないだろう。コンプライアンス全盛の今となっては到底看過できないような金言であったり、今でも通用するような普遍的な格言であったり、数多くの心に残る言葉を作品の中に残している。

 特に初期の作品には「殊更に偽悪ぶった女性に対する差別的な書きようが、現在の僕には苦しく感じる」と友人の坂本龍一にまで苦言を呈されるほどである。

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 いきなり強烈な言葉になるが当時もやや問題視されたこの言葉から紹介する。

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「美人は三日で飽きる」というのはブスの自殺を救うための嘘である。(『すべての男は消耗品である』)

 目を覆いたくなるようなこの言葉の真意はどこにあるのか。

 村上龍いわく、人間はその存在を忘れられたら終わりであり、忘れられないために美人は常に表現しているが、ブスはそもそも飽きられることすらない、ということらしい。ただこの頃の村上龍の言葉にはエネルギーがあり、不思議な説得力があったのも事実である。

女が知性を欲するのは一種の堕落だと思う。女はアホでいてほしい。(『すべての男は消耗品である』)

 これもなかなかの発言なのだが、頭がいい女は、女には知性が必要ないと知っていて、知性的であることはとても面倒くさいことなのでそんなことは男に任せているのだ、という理屈である。これもあまり賛同を得ることがないとは思うが、そんなことを本気で考えている村上龍ってイカしてるな、という読者がいたのも事実なのである。

 さらに攻撃の手は女性以外にも及びはじめる。

書くことが日常になってしまった作家やエッセイストは、すべて死後、地獄に堕ちるだろう。(『すべての男は消耗品である』)

 何がそんなに気に入らないのだろう、と思うがこの発言にもきちんとした理屈がある。

 通貨や言葉などという幻想の産物で金儲けをしている人間が天国へ行けるわけがない、というわけだ。確かに言わんとしていることはわかる気もする。

 時は流れ、性的なアプローチの作品が多かった村上龍が転換期に差し掛かった頃、蓮實重彦との対談でこんなことを言っている。

人間の肉体は絶対に快楽についていけない。(『存在の耐えがたきサルサ』)

 今まで村上龍が小説を書くのは自分のアイデンティティの確保のため、快楽に準ずる遊びのための資金確保としてだった。しかし、小説という容器が悲鳴を上げるようなことをやってみたい、と思うようになり、それで書いたのが『五分後の世界』なのだ。

 インターネットが普及しはじめると、さらに小説のモチーフは多様化し、家に引きこもりながらネットを通じて全世界と瞬時に繋がり、外の世界に飛び出していく青年を描いた小説を上梓する。

真実はいつも細い谷を静かに流れていて、その流れが絶えることはないが、その流れそのものを見つけることが非常にむずかしい。(『共生虫』)

 他人とのコミュニケーションの方法が少しずつ変容し、それにより複雑化する社会の構造の中で、もがき、落ちこぼれる者たちの心情を丁寧に描く作品を多く発表していく。

 そして最新作では自分の欲望に従順にただ突っ走るだけではなく、成熟した深みのある領域に達している。

生命力に飽きる人はいない。(『ユーチューバー』)

 齢七十を越えた老境の小説家は、過去の自身の女性遍歴を振り返りながら、イタリア映画『にがい米』のシルヴァーナ・マンガーノのダンスをYouTubeで繰り返し観ている理由について述べた言葉である。

 この映像を実際に観ると、シルヴァーナのダンスは決して上手くはないのだが、その肉感のある体や一瞬だけ見える脇毛に十九歳の女性の生命の躍動感を垣間見ることができる。

 村上龍の言葉は時代を越え、緩やかな変化を見せ、時代に寄り添ってはいるが、その攻撃性や危なっかしさは読む者に不安を与える。だが、その言葉の鋭利さが彼の魅力でもあり、多くの読者を惹きつけている要因でもあるのだろう。

文=斎藤紳士

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すべての男は消耗品である。VOL.1: 1984年8月~1987年6月 バブル前夜

共生虫 (村上龍電子本製作所)

ユーチューバー (幻冬舎文庫 む 1-39)