「私」が抜けた後、そのバンドは紅白出場が決まった。ベーシストから公認会計士になった女性の視点で描かれる青春小説【書評】
PR 公開日:2026/4/9

忘れがたい青春の一頁、みたいな思い出が少ない。だが、決して「ない」わけではない。数少ないそれらの記憶は、たしかに私の中にあって、きらきらと途方もなく輝いている。金子玲介氏による長編小説『私たちはたしかに光ってたんだ』(文藝春秋)は、そんな記憶の断片を彷彿とさせる。「青い春」と呼ぶに相応しい、未熟で、懸命で、不確かで、熱くて、この上なく切実で美しい物語は、過去と現在を行き来しながら紡がれる。
高校1年で組んだバンド「さなぎいぬ」は、紆余曲折を経て紅白出場を果たすほどの人気グループへと成長した。本書は、結成当初にベースを務めていた室瑞葉の視点で語られる。高校生の瑞葉と、大人になった彼女との時間軸の揺らぎが、瑞葉自身の心の揺らぎと絶妙に重なる。公認会計士として激務をこなす傍ら、「さなぎいぬ」の活躍から目を離せない瑞葉は、大学の途中でバンドを抜けた。初手で明かされる結果と、最後に明かされる理由。だが、本書の核はそこではない。「理由」に行き着くまでの過程、そこで得た瑞葉の経験、残ったもの、失ったもの、揺るぎないもの。それらこそが、タイトルに込められた「光」につながるものであると、私は確信している。
三浦朝顔をリーダーとして、ボーカルに柏葵、ドラムに広瀬緋由、ベースに瑞葉を加えたメンバーが初期の「さなぎいぬ」だ。サイゼリヤでバンド名を決めた彼女らは、天才肌の朝顔のリードに引っ張られるように音楽にのめり込んでいく。朝顔の才能は、演奏だけにとどまらない。作詞・作曲・編曲のすべてをこなす朝顔は、怒涛の勢いで名曲を制作する。その完成度とスピードに、瑞葉はまたたく間に心酔した。心酔は、ときに歪みをもたらす。憧れが強ければ強いほど、自身に落ちる影は濃くなる。
プロを目指してひた走る中で、瑞葉は徐々にジレンマに陥っていく。朝顔との才能の差、周囲との熱量の差、あらゆるものに絡め取られ、身動きが取れなくなった瑞葉の思いは、矛となって仲間へと向かう。葵と緋由に言ってはならない言葉をぶつけた瑞葉に、朝顔はこう告げた。
“「アタシはお前の教祖でも神様でもない。ただのバンドメンバー。アタシが書いた曲を、お前が弾いてるってだけ。この四人で、演奏してるってだけ。勘違いするな。」”
圧倒的な才能を前にすると、途方もない、届かない、と思う。でも、いつか。そんな思いがむっくりと立ち上がるぐらいにとどめられるのは、対象との距離が離れている場合なんだろう。天才である朝顔の隣に、終始リズム隊として立ち続ける。そんな瑞葉のプレッシャーは、インディーズデビューが決まったあとも加速度的に増していき、ある出会いをきっかけに、ぷつりと糸が切れてしまう。
“私がここにいたかも、と思ってしまうのをもうやめたい。”
「さなぎいぬ」に関する報道を目にするたび、瑞葉の中に浮かぶ羨望。それは、応援や歓喜の気持ちと同時に浮かんでくるから、嬉しいのに痛くて、喜びたいのに苦しくて、何度も彼女を締め付ける。懸命に生きた証がそこにあるのだと、外側から見る私は呑気にそう思えるけれど、渦中にいる瑞葉にとっては、そんな生易しいものじゃない。瑞葉の父が、瑞葉にかけた言葉を思う。「才能」と「努力」と「結果」の話。それは、私自身にとっても優しい話だった。優しすぎて、痛みを伴うほどに。
「光そのものみたいな時間」を紡ぐ文体は、こちらがたじろぐほどの勢いでぐいぐいと迫ってくる。歌詞と感情が交互に重なり、言葉と本音が交錯し、読点さえも邪魔だと言わんばかりに十代特有の熱量を打ち付けてくる本書は、紛れもない青春小説であり、瑞葉という人間の人生の話でもある。光を掬い取ると同時に、痛みをもさらけ出す。本来なら、大人もこんなふうに生きられたらいいんだろう。感情的になったり、喧嘩をしたり、心から悔いて“全身全霊で”謝ったり、仲直りをしたり。どれも懸命だからこそできることで、夢中だからこそ生まれる感情で、斜に構えたお利口な大人になんてなりたくなかったと本書を読んで思った私は、きっとまだがんばれる。
“努力は必ず報われるなんて、嘘だ。”
“でも、私は努力したから、それに気付くことができた。”
そう言い切れる瑞葉を、掛け値無しに格好良いと思う。才能で切り捨てられることが掃いて捨てるほどある世の中で、「努力は裏切らない」と信じてひたむきに続ける人間の未来が捨てたものじゃないのだと、そう信じさせてくれる物語を、私はこれからも読みたい。「光っていた」と、そう言い切れる時間があったことは、いつかきっと力になる。かつての私の思い出の中にも、痛みはある。それでも、光ごと失うのは嫌だから、今でも後生大事に抱えている。
文=碧月はる
