絶対に人間を撮らない写真部・女子大学生の謎。街にある日常的なものばかり撮影する女子に、周囲の人間がどんどん引きずり込まれていく青春連作短編集【書評】
PR 公開日:2026/4/30

カメラは、すべてを写す。現像された写真には、被写体だけでなく、撮影者の心までもが焼き付けられている。
そんなカメラによって世界との接点を作っていく、不器用な女の子の物語に、どうしようもなく切ない気持ちにさせられた。その物語とは『森島章子は人を撮らない』(秋永真琴/東京創元社)。森島章子という女子大学生の横顔と、彼女自身がファインダー越しに覗く世界を描く、傑作青春群像劇だ。
大学生の森島章子は、写真を撮る社会人サークル〈札幌フォトジェニック〉に所属している。彼女が撮るものは、街で見かける日常的なものばかり。けれど、あまりに当たり前すぎて誰も意識しないようなものたちが、彼女の写真の中では真新しいたたずまいを見せる。彼女の写真には、見る者に、撮る者が被写体へ向けたまなざしを追体験させる力がある。だが、章子はかたくなに人の写真を撮らない。章子に撮ってもらいたいと願う人は多く、周囲もポートレートを撮るように勧めるのに、なぜ彼女は人を撮らないのだろう。
すらりと高い背に、小さな顔。黒髪のショートボブに、丸い眼鏡、肩から提げた大きなカメラ。章子の姿は人目を引くのに、どこにいても何だか居心地が悪そうだ。本作は、そんな彼女の姿を、連作短編小説の形で、さまざまな視点から描き出していく。たとえば、写真展をきっかけに付き合うことになった恋人は、彼女から待ちぼうけを食らってばかりいる。「自分は彼女にとって何なのだろう」と、付き合い始めてから何度も疑問に思う。けれど、章子は別に彼を振り回したいわけではない。連絡無精なところがあったり、写真を撮っているうちに何時間も経ってしまったりするだけで、彼に合わせようというつもりがないわけではない。
この人に僕はどう見えているのだろう。僕が見ている章子のように――その半分でもいい、特別な光を帯びていればいいと思う。それは祈りに近い感情だった。
恋人が感じる、付き合っているのに片思いのような恋心に胸を締めつけられながら、この恋人と同様、どんどん章子のことが気になっていく。章子は何を考えているのだろう。視線の先には何があるのだろう。サークルの知人、小説家志望の年上の女友達、家庭教師先の中学生。あらゆる視点で章子を見るにつれ、その輪郭がだんだんと浮かび上がってくる。
「わたしも、わかりたいんです。わたしの周りのことを」
章子は、ただ不器用なだけ。人に無関心なように見られがちだが、決して興味がないわけではない。むしろ誰よりも深く人や世界を見てしまっている。だからこそ、その関心や感情が、日常のやりとりの中ではうまく伝わらない。そんな彼女を理解しようとする人もいれば、腹を立てる人もいる。日々の暮らしに生きづらさを感じている人なら、彼女の葛藤に共感せずにはいられないはずだ。
そして、カメラの奥深さを感じずにはいられない。サークルの中には、撮られることに幸福を感じ、写真の中の自分を好きだと言える人がいれば、誰を撮っても同じような写真にしかならない人もいる。そんな人々の中で、章子は写真を撮り続ける。章子にとって写真は、単なる趣味ではない。言葉ではうまく差し出せない自分のまなざしや感情を、かろうじて世界に触れさせるための手段だ。だからこそ、写真は救いであると同時に痛みを伴うものでもある。そんなカメラを彼女に教えたのは誰なのか。章子自身の視点へ移ったとき、彼女の心の奥には、いま目の前にいる人たちだけでは埋められない、忘れられない誰かの影が差していることにも気づかされる。その存在が、章子という人物の奥行きをいっそう深いものにするのだ。
ああ、北海道の景色の中で綴られる物語に、胸が張り裂けそうになる。章子は、カメラがなければ、世界と自分を何ひとつ接続できないまま生きていったに違いない。そんな女の子が、カメラとともに、この世界を生きていく。置き場のない思いを抱えながら、それでも世界を見つめようとする。その不器用なひたむきさに、何度も胸を締めつけられた。誰だって頑張って生きている。その当たり前のことを、こんなにも切なく、こんなにも愛おしく思わせる物語があるだろうか。苦しくて、やさしくて、どうしようもなく忘れられない。生きづらさを抱えながら日々をやり過ごしている人にこそ、ぜひ読んでほしい一冊だ。
文=アサトーミナミ
