濱口竜介監督が語る映画『急に具合が悪くなる』映画化への葛藤と原作への想い「どうすればいいかわからないけれど、絶対に映画にしたいと思った」

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公開日:2026/7/4

■ルーツも肩書も異なる二人の対話がもたらした、特別な関係

――劇中に、他者との境界線を溶かす、というお話がありました。介護施設で働くフランス人のマリー=ルーと、演劇の演出をする真理。ルーツも肩書も異なる二人の対話を通じて、フランスで起きていることが他人事ではない感覚を覚え、まさに境界線を溶かすような効果があると感じました。

濱口 それはもう、演じたお二人……ヴィルジニー・エフィラさんと岡本多緒さんによる、類まれなる努力の賜物です。マリー=ルーはフランス語で、真理は日本語で話しているのに、なぜか伝わるものがある。もちろん、演じているお二人ともそれぞれ、相手の言語を学習しているけれど、演技上、理解できていないかもしれない言葉も多くあったはずです。それでも、感情を通じあえる瞬間がある。それがそのまま、この2人の特別な関係の表現になっていると思います。マリー=ルーと真理もこうして話せることを奇跡のように感じるでしょう。自分は今、特別な人と話しているのだと感覚を持ちながら対話している二人を介して、観客もきっと、同じような感覚を抱いてくれるのではないかと。

――個人的に、祖母が英語しか話せない孫と話していたことを思いだしました。お互い、言語という意味ではまったく理解しあえていないのに、なぜか、数日間の同居ののち、祖母の言っていることを孫のほうが理解していたんですよね。

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濱口 国境がわかりやすいですが、境界というのは実際の断絶によるより、もっと概念として決まっていることがありますよね。境界線に見えていることが実際は境界線でもなんでもなく、思い込みで隔てられていたものが対話を通じて溶けていくということは、実生活でも起こり得るのではないかと思います。思い込みを飛び越えていく一例として、描きたいなと思っていました。本作では一貫して、ありえないことが目の前で起きているような感覚が生じるよう、演出しています。

――マリー=ルーが対立していた看護師長のソフィに、アクティビティの一環でインタビューをするシーン。あれもまた、境界線が溶けた瞬間ですよね。わかりやすく和解するわけではないんだけれど、二人はあのとき、はじめて出会ったのだと感じたんです。人と人はそうやって出会い続けるのだなあとも。

濱口 出会い続ける、というのは、とてもいい言葉ですね。きっと、そうなのだと思います。人との関係って「この人はこういう人なんだな」という認識のうえでつくられていくもので、それはそれで衝突も少なくなるし、居心地はいいんだけれど、現実には自分が感じている「こういう人」ではない側面だってたくさんあるし、人の持つ役割というのは一つではない。家族でも恋人同士でも、出会い続けられる関係は理想でもあります。ただ、出会うことにはある種の動揺が含まれるので、いつもできることではない。それでも何年かに一回、出会い直せるような関係が、自分の人生にもあるといいなと思いますし、そういう瞬間を撮ろうという想いは、撮影中も抱いていたような気がします。

――マリー=ルーと真理のあいだにも「まだあなたのこと何も知らない」という会話が、親しくなったあともかわされますよね。それは、もっとあなたを知りたい、という意思表示であり、わかったような気持ちにならず相手を大切にすること、の象徴である気もしました。

濱口 それはやっぱり、宮野さんと磯野さんがそうであったから、でもあると思います。『急に具合が悪くなる』という本が、お二人にとって大事な一冊であることはわかりきったことであって、舞台設計を変えて、主人公がお二人そのものでなくなったからといって、自由に何をしていいわけでもない。たとえば言葉一つとっても、お二人は、相手から受けとった言葉をふまえた上で慎重に選んでいたはず。そのときの覚悟や勇気のようなものが、何度も何度も読みこむうちに、言葉にならないかたちで自分のなかに染みてきたような気がした頃に、脚本を書き始めました。

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