なぜSNS時代のホラーは人を惹きつけるのか?『記憶汚染展』と世界48か国で興収1位を記録した映画『バックルームズ』に共通する、“共有される恐怖”の正体【ダ・ヴィンチ・恐山×頓花聖太郎対談】
更新日:2026/8/7
世界48か国で興行収入1位を記録した、映画『バックルームズ』と『記憶汚染展』の共通点とは?
――本展は映画『バックルームズ』とタイアップしています。『バックルームズ』の概念自体は海外の掲示板サイト4chanに投稿された一枚の写真が始まりなんですよね。

恐山:そうです。どこなのかまったく分からない。通るためだけに存在しているような、どう過ごすか規定されていない場所の写真です。「人は精神的に宙ぶらりんになるような場所に恐怖と魅力を覚える」という精神性を、世界中の人々が持っていたことが分かった。まずこれ自体が、『バックルームズ』の世界が持つ、すごいところだと思います。

頓花:今までのホラー文脈で作られた映像ではなく、無機質で永遠性があって、人工的だからこそ持つ不安や不穏さみたいなものがありますよね。「こんな新しい表現があるんだ」と感じました。ただ当時、「面白いけど、ハイコンテクストだし日本で流行るかな?」とも思ったんです。でもあれよあれよという間に“リミナルスペース”(※境界空間)という言葉が普及していって。やっぱり皆さんホラーの素養がすごく高いんだなと感じました。
――おふたりは映画もご覧になったとのことですが、いかがでしたか?

恐山:そもそもの『バックルームズ」にはアンビバレントな魅力があると思うんです。リミナルスペース的な面白みというのは、写真があるだけだけど、それが無限に広がっているようで心がゾワゾワする。魅力的なんだけど怖い、怖いんだけど魅力的……というところに尽きる部分がありまして。

しかし注目を集めたことで、「実はそこに化け物がいて……」みたいにエンタメとして味付けをしようとする流れも発生するわけです。それをやりすぎると、単にホラー的な世界観をみんなで共有しているだけになってしまって、「つまらない」「かっこよくない」となってしまう。そんな中で『バックルームズ』本来の“写真一枚でしかない”という宙ぶらりん感を残そうという苦闘の跡というか、ある種エンタメであることを拒否するかのような抵抗の痕跡が映画の中心にあって、それがすごく好ましかったですね。

頓花:「商業主義に落ちねえぞ」みたいな強さを感じましたよね。さらにその結果、ちゃんとヒットしているからすごい。

恐山:映画より前にケイン監督がYouTubeに載せた『バックルームズ」の映像には、すでに化け物が登場するんです。ただ、私の感覚では化け物自体はどうでもいい。化け物は「この先に何かいたらどうしよう」と想像する「何か」でしかなくて、見せたいのは「どうしよう」の部分だと思うんです。最後まで見た時に、本当に何もいなかったら観客は安心して世界が色あせてしまうので、便宜上化け物を配置せざるを得ない。今回の映画もモンスターホラーの側面はありますが、明らかに比重としては、無機質な現代的空間が位相のずれたところに存在している不気味さに重きを置こうという強い意思を感じましたね。そこに感動しました。
――今回の展覧会と共通する部分はありましたか?

恐山:『バックルームズ』にも記憶がモチーフとして登場していて、それがあの謎めいた空間と強固に関係を持っています。それを観て、やっぱりほとんどの客観的な謎が解明されてしまったと思われているこの現代において、最も怖いもの、未知のものが存在する場所は、個人の脳内、つまり記憶の奥底にあるというアプローチ自体が似ているなと感じました。おこがましいですが「あ、やっぱそうなるよね」と。

頓花:ガッツポーズぐらいの感覚でした。記憶って、遡れば遡るほど特徴点だけ残って、それがエラーを起こしながら不穏に繰り返されるという感覚が『バックルームズ』ではうまく表現されているんです。人間って、「見たことがある」と思った瞬間に安心する一方で、「でも思い出せない」となると急に怖くなるんですよね。その違和感、不穏感、そこから醸し出される恐怖みたいなものは、展覧会でも味わっていただけると思うので、本当にいいコラボレーションだなと思っています。

――個人的にはどちらも「どういうことだったんだろう」という余韻が残り、考察したくなる点、つまり、すべてを明らかにしないところも展覧会と映画の共通点かなと思いました。そのあたりはいかがでしょうか?
恐山:今のホラーの潮流として、考察型はかなり多いですね。今回の『記憶汚染展』もその面は間違いなくあると思います。ただ考察型ホラーって、「怖いっぽい雰囲気だけを振りまいて、何もないじゃん」という批判もあるんです。「ホラーとしての満足をどこで与えられるか」という問題はすごくあって。本展についてもその重心をどこに置くかは悩んだ部分です。

頓花:その意味ではとてもいいバランスになっていると思います。終わってから「あれ何だったんだろう?」という余韻も楽しんでいただきたかったので、全部の正しい答えを開示したかったわけでないんです。かと言ってわからないものをばらまいて「さあ、悩め」ということではなくて。恐山さんに結構太めの背骨を通していただいているのでちゃんとつながっていくと思うし、もし仮に恐山さんや私が考えていたことと違う帰結になったとしても、それはそれでいいんです。「来てくれた人の中に、ちょっと妙な記憶を残せたらいいな」といういい塩梅になっているのではと、恐山さんの脚本を読みながら感じました。少なくともバックグラウンドには大量の文字があるので。今恐山さんの原稿を改めて見てみたら、6万字ありましたから(笑)。

