スパイ容疑で捕虜収容所に投獄? 誰が敵で誰が味方かわからなくなってしまう濃密な戦争小説『炎陽を撃て』【書評】
PR 公開日:2026/8/19

『炎陽を撃て』(上田早夕里/双葉社)は、終戦から2年後の中国を舞台に、激しい望郷の念を胸に、特殊任務に就いた男たちの熾烈な戦いを描いた戦争小説である。
1947年中国山西省。軍曹である加藤道雄(かとう・みちお)は、中国山西省にある国民党軍が管理する捕虜収容所にいた。
※終戦直後の中国では、国民党軍と共産党軍が内戦を繰り広げていた。
加藤は帰国のため一時的に国民党軍に協力していたのだが、共産党軍のスパイの疑いをかけられて、収容所という劣悪な環境下にいた。それでも希望は捨てていなかった。日本で必ず最愛の妻子に会うという悲願があったからだ。
ある時、坂木(さかき)という少尉に「極秘任務」への参加を要望される。チベットに潜入し、とあるアメリカ人を捜し出して国民党軍に引き渡すというものだ。
坂木は、加藤に詳細を話す。
坂木を隊長、加藤は副隊長として、他数名の日本人が加わり任務を行う。国民党軍の部隊も協力する。ターゲットのアメリカ人は、アメリカ軍側も捜しており、国民党軍は、アメリカよりも先に彼を確保したいと考えている。重要人物を確保できた暁には、すぐに帰国が叶う……とのことだったが。
加藤は、すぐには返答ができない。
国民党軍は、自分たち日本人を単なる「弾よけ」としてしか考えていないはずだ。アメリカ軍は当然、日本軍を敵とみなしている。あまりにも孤立無援であり、不確定なことが多い危険な任務である。
だが坂木の強い勧めと、この収容所にいる自分の部下を即刻帰国させることを条件に加藤はこの密命を受ける。その後、選ばれた他数名の日本人と、漢人の父親とチベット人の母の間に生まれた通訳(兼監視)と共に、ターゲットがいるというラサへ。
しかし険しい山岳地帯を進む道中、明らかになっていくのは「日本人」と「アメリカ人」の“密約”の存在で――。
誰が敵か、味方か。混沌とした中、日本、アメリカ、国民党軍、そして共産党軍も加わった四つ巴の激しい戦いの幕が切って落とされるのであった。
本作は非常に“密度の高い”物語だ。
当時のチベットへ向かう山岳の風景、食物、植物、動物等の描写が、まるでその時代を生きていたかのように精密に、全紙面に書き込まれていると言っても過言ではない。
こういった作品を、筆者は密度が高い小説と考えている。
この密度の高さは、読書離れが進んでいる昨今、ハードルが高いのかもしれない。読むのにはやはり時間と体力がいる。読みづらいわけではないし、難解というわけでもないのだが、情報量が多く、その処理に負荷がかかるというのも事実である。
しかし私は、この密度の高い小説というものが、たまらなく好きなのだ。
読者の五感を刺激して、真の没入感をもたらしてくれるから。
もちろん私は戦後すぐのチベットに行ったことはないし、銃を手に山岳地帯で戦ったこともない。なのに、まるでその場にいるような感覚になれる。
チベットの山々で翻る、仏教の経文が書かれたタルチョという五色の旗の色彩的な美しさで胸を震わせたり、バター茶の独特の味や温かみに癒されたりと、異国の雰囲気を、肌身で感じ取ることができる。
この貴重な疑似体験は、密度の高い小説ならではの大きな魅力だと思う。
また情景描写だけでなく、心情描写も丁寧に描かれていることも、没入感に繋がっていると思う。日本人、中国人(漢民族)、チベット人、アメリカ人と、様々な国籍の人間が登場する中、彼らが胸に抱えているもの、その背景が丹念に描かれているのだ。
本作は戦争小説なので、戦うべき敵がいる。その筆頭はアメリカだろう。加藤視点で本作を読み進める読者にとって、アメリカ人は倒すべき憎い敵だ。しかしアメリカ人側の心情も描かれていることで、単純な勧善懲悪として本作を楽しむことはできない。
それぞれに理性では割り切れない複雑な想いがあり、戦場に立っている。
だからこそラストで描かれる加藤と、日本人を苛烈に憎むアメリカ人部隊の隊長・ヒース・デイルとの戦いは、何とも言えず胸に迫るものがあった。
「戦争の悲劇」と言ってしまえばそれまでだが、本作はその「悲劇」を、まるで自分が体験したかのように感じられ、また過去の出来事として終わらせてはいけない、今を生きる人類としての「課題」を示唆してくれるような一作だったと思う。
文=雨野裾
