始発を待つ人のための、理想のサードプレイス?――『居酒屋ぼったくり』秋川滝美による、疲れた人を迎える小さなキッチンカーの物語【書評】
PR 公開日:2026/9/1

一日の「はじまり」は、誰にとっても朝とは限らない。
夜勤を終えた看護師は、朝はようやく仕事から解放される時間かもしれない。夜通しハンドルを握ったトラックドライバーなら、これから眠りにつくところだろう。朝まで飲んでいた人には――まあ、反省の時間かもしれない。『朝焼けキッチンカー』(秋川滝美/ポプラ社)は、そんな「夜を終えた人たち」を迎える一台のキッチンカーの物語だ。
始発を待つ人のためのキッチンカー
主人公は24歳の八嶋鼓乃果。家族で営むスーパー「八嶋マート」を手伝っている。大学時代、鼓乃果はストレスから体調を崩してしまった。以前なら当たり前にできていたことができなくなり、卒業後の就職も断念する。家業を手伝いながら少しずつ調子を取り戻してきたものの、「いつまでも実家に頼ってはいられない」という思いは消えない。まじめな人なのだ(だから体調を崩したのでは……)。
急いで元の自分に戻ろうとするのではなく、今の自分にできることからはじめたい。そう考えた末、鼓乃果が選んだのがキッチンカーだった。八嶋マートでは、まだ食べられる惣菜や食材が廃棄になることもある。それらを有効活用しながら、自分の力で収入を得てみたい。そんな思いもあった。鼓乃果のその挑戦を、家族は心配しながらも応援してくれる。
とはいえ、料理ができれば飲食店が成り立つわけではない。
本作がおもしろいのは、キッチンカーという商売の現実を、かなり具体的に描いているところ。どこで営業するのか。何時に店を開ければお客がきてくれるのか。どんな人が通る場所で、何を売れば手にとってもらえるのか。実店舗をかまえるより身軽に見えるキッチンカーにも、当然ながら「売るための工夫」は必要になる。
鼓乃果はまず、終電後の深夜帯に営業をはじめる。だが、いざ開業してみると、なかなかお客はきてくれない。そんな彼女にヒントをくれるのが、最初の常連客となる永田だ。彼は店に、イタリア語で「夜明け」を意味する「アルバ」という名前を提案する。さらに終電後の人々ではなく、始発を利用する人たちを狙ってみてはどうかともアドヴァイス。
その読みはみごとに当たる。営業時間を深夜から早朝へ移してみると、普通の飲食店ならまだ閉まっている時間帯とあって、お客さんが少しずつ集まってくるのだった。
店主と客という微妙な距離だからこそ、小さなサードプレイスになれる
豚肉を使った「他人丼」、惣菜のコロッケを挟んだサンドイッチ、野菜とソーセージをたっぷり詰めたモルタデッラ……。『居酒屋ぼったくり』や『ひとり旅日和』など、食と暮らしを丁寧に見つめてきた秋川滝美氏だけに、本作でも食欲をそそる料理描写は健在だ。
鼓乃果が売っているのは食事だけではない。
酒でストレスを紛らわせている女性の話に耳を傾け、忙しい父親と暮らす中学生には、包丁を使わずに作れる炊き込みご飯を教える。鼓乃果自身が危惧しているように、他人の生活へどこまで踏み込んでいいのかという危うさはある。それでも、店主と客というほど遠くなく、家族や友人ほど近すぎない。そんな微妙な距離だから、話せることもあるのだろう。そう、「キッチン・アルバ」は食事を買う場所であると同時に、小さなサードプレイスになっていく。
その名のとおり、かつて思うように動けなくなった鼓乃果もまた、急がず少しずつ、自分の朝へ向かっている。長い夜を越えた人にも、これから一日をはじめる人にも、朝はやってくる。銀色のキッチンカーは夜と朝のあわいで、今日も誰かの訪れを待っている。
文=皆川ちか
