料理家・長谷川あかり「夫婦がお互いの味覚を100%合わせる必要はない」初のエッセイ本を通して“自分のための料理とは何か”を考える【インタビュー】
公開日:2026/9/18

料理家・管理栄養士の長谷川あかりさんが初のエッセイ本『タコ セロリ アボカド』(文藝春秋)を上梓した。そこには、レシピ本に救われたという過去の記憶や、家族や友人との食の思い出が綴られている。彼女が作る料理にはいつも新しい発見があり、私たちをどこか心がときめく場所へと連れ出してくれる。おまけに、クタクタに疲れた人をこれ以上困らせないという優しさまで感じられるのだ。懐がひろいレシピの数々がどんな想いから生まれているのか、インタビューで聞いてみた。

「自分のための料理」についてみんなで考えたかった
——エッセイの中に「レシピの背景にある自分自身を知ってもらいたい」という言葉がありましたが、どんな想いでエッセイを書き進めましたか?
長谷川あかりさん(以下、長谷川):私自身、料理を作ることで抱えてきた不安やつらい気持ちをレシピ本に救われてきたので、それを書くことであらためて自分の気持ちを理解したいなと。あと、レシピを届けるときに「自分のため」ってしつこいほど言うんですけど、生活のための料理って必ずしも自分のためにするわけじゃないですよね。自分ひとりの食事だったら適当に済ませるなあという場面でも、ほかの誰かが食べるから頑張って作っていることもある。それも「自分のため」が大前提であってほしいけど、家族や友だちのために作ることのすべてが自己犠牲なのかというとそんなこともない気がするので、そこも整理したいと思いました。
——たしかに最近は、自分軸で生きよう、みたいな風潮がありますよね。
長谷川:自分らしく生きるって意外としんどいと思うんですよ。「自分のため」に作った料理でも、誰かに食べてもらって「美味しい」と言ってもらえることが、自分の喜びになったりする。 それを全部ひとりの中で完結できる人もいると思うんですけど 私はたぶん、誰かとのやりとりの中で自分を確かめることが必要だったんですよね 自分は自分だし、自分を好きでいることに理由なんていらないはずだけど、私は「自分を好きでいていい」という理由がないと生きていけなかった。「レシピ通りに作る・自分が食べるあるいは食べてもらう」っていう一連の作業を通して、やっと自分らしさみたいなものを見つけられたというか、パワーをもらえたんです。自分軸の料理ばかり発信してる自分が、あえてそうではない視点をエッセイで流し込むことで、「自分のための料理って結局なんだろうね」「自分の輪郭を保ちながら生活するってどういうことだろうね」みたいなことをみんなで考えられたら楽しいかなっていうのはありました。
レシピを自分らしく生きるための第一歩にしてもらえたら

——長谷川さんのレシピには作って食べる人への寄り添いが感じられるから、受け取った人も自分のことを話したくなると思うし、それを含めて心地よさを感じている人は多いと思います。レシピを発信するときのこだわりはありますか?
長谷川:レシピって自由に読める文字媒体だと思うので、私がこういう人間でこうやって考えて生きているからこのレシピを作りましたっていう情報を出しておかないと、コミュニケーションのミスが起きやすいんですよね。たとえば、私が簡単レシピとして出したもので誰かが「簡単じゃない。じゃあ私が普段作ってる料理はなんなの」って傷ついちゃうかもしれない。だから、コミュニケーションを大事にしてるっていうのはほんとにそうですね。
その上で、作りたくない料理をちょっと作ってみたいと思っていただくための「0から1への立ち上げ」に使っていただいたり、義務感99%で作っている人がどんな味がするんだろうと興味を持って「作りたい気持ち1%が50%くらいになる」きっかけにしてもらったり。私の思う「私の味」を100%味わってほしいと思うなら、お店を出したほうが早いと思うんです。でも私は、極端かもしれませんが、美味しい料理そのものを届けることだけが目的ではないんです。
より多くの人にレシピという媒体を通して、料理に向き合おうとする気持ちを育てたい。料理をしてみようかな、と思う気持ちを後押ししたいし、そう思える人そのものを増やしていきたい。だから必ずしも私のレシピ通りに作ってもらわなくても全然いいと思っています。
——レシピは目的ではなく手段ということですね。レシピが文字媒体だなんて考えたことがなかったです。そう考えるようになった経緯があるんでしょうか。
長谷川:ちょっとしんどかったときに、この材料は先生っぽいなとか、レシピの背景にある先生方の考え方を深読みするのが好きで。今って普通に生きているだけでもSNSでレシピが大量に流れ込んでくるじゃないですか。でも私が古本屋さんでレシピ本に出会った2010年頃って、まだギリギリ、料理家さんの活躍する場のメインが雑誌や本だったころ。自分から能動的に取りに行く情報だったから、読み物として面白いレシピが集まっているというか…先生の生き方がまるごと出ている感じのレシピが好きなんです。

——長谷川さんは今、SNSでもレシピを発信されていますね。
長谷川:SNSっていっても、ダンス動画なら見るだけでかっこいいって思えるけど、レシピって食べてみないと美味しいかどうかわからないじゃないですか。見た人が材料を買ってきて、実際に手を動かして作り、食べてみないと「美味しい」までたどり着けない。乗り越えなきゃいけないハードルがめちゃくちゃあるので、レシピ自体に多少の面白さがないと選んでもらえないっていうのもあります。
——たしかに、スマホに飛び込んでくるレシピの情報はものすごい量だと思います。
長谷川:これだけ大量に選択肢があると、選択肢がないよりも扱いにくいと思うんですよね。自分の人格とは関係ない、日本人全体の検索エンジンで最適化された人気レシピが出てくるんだけど、それはたぶん自分にとって最適化されたものとは違うから。でも、じゃあ自分の好みに合わせて情報が最適化されればいいのかというと、それも少し違うとおもっていて。自分が好きそうなものばかりがどんどん流れてくるようになると、今度は自分がすでに知っている、好きの延長線上から出られなくなって、新しいものに出会いにくくなる。
私が雑誌を読んでいたころに楽だったのは、単純に選択肢が少なかったからだけじゃないんだと思います。自分と好みや感覚が似ているけれど、自分ではない別人格が一度情報を選んでくれていて、私はその中から選べばよかった。あくまで別人格が選んだものだから、「私は絶対にこれを選ばなかったな」というものも混ざっていて、そこから新しい好みや考え方を教えてもらえる。 いい距離感でした。
味覚が合う料理家がひとりいて、その人のレシピを100日間作ったら、自分の好きな味が見つけやすいだろうし、料理も上達すると思うし。食べ物ひとつとっても、これを選びましたって自信を持って言えるほうが、周りが気にならなくなるだろうし、自分なりのストーリーがある人ってかっこいいじゃないですか。SNSで流れてきたから作るのももちろんいいけれど、「こういう味が好き」って言えたほうが、それ以外のことを潔く捨てられて、物事を選びやすくなるはずなんですよ。自分らしく生きるってそういうことだと思うんですよね。だから、自分らしく生きるための第一歩に私のレシピを使ってもらえたらいいなって。そういう意味で、私がやっていることはSNSでもエッセイでもあまり変わらないかもしれないです。
——雑誌時代の料理家さんと同じく、あかりさんのレシピに「っぽいな」と感じている人は多いと思います。「っぽさ」を意識することはありますか?
長谷川:そこまで強くは意識してないです。意図的に変化球を投げるときもありますけど、みんなをびっくりさせたいわけではなく、最終的に私の好きな味になればいいのかなって。作ってくださる方がたくさんいらっしゃってありがたいし、嬉しいんですけど、私のレシピは好き嫌いが相当わかれると思うし、日本全体で見たら「どんぴしゃ」な人は少ないと思います。そういう意味では、ポイント使いの人なのかなと。
——ポイント使いですか?
長谷川:1ヶ月に1回なのか、週に1回なのか、料理嫌いになりそうなときに作ってみるとちょっと楽しいかもね、みたいなパターンのひとつというか。私も私のレシピを毎日は作ってないんで。料理をしたくないという人の中には、ほんの少し、「できることなら料理をしたい」という気持ちが混ざっている状態に人もいて、そういう方に「したくないならやらなきゃいいじゃん」と私は言えません。でも心地よい状態ではなくなっていると思うから、ちょっとでもやりたい気持ちをどこまで引き上げられるか。それが、レシピが担える役割だと思ってます。
