「内定ゼロ、彼女ナシ」の大学生が八つ墓村へ――なぜ今、『八つ墓村』なのか? 清水崇監督が描く、SNSに踊らされる現代に通じる“歪んだ正義感”【映画レビュー】
更新日:2026/9/19

『八つ墓村』という作品に触れたことがなくても、「祟りじゃー!」というフレーズを聞いたことがある人は多いのではないか。それは1977年に公開された野村芳太郎監督の映画『八つ墓村』の劇中のセリフであり、当時の流行語として日本を席巻していた。
最注目ポイントはやはり「監督:『呪怨』の清水崇」

横溝正史の小説『八つ墓村 金田一耕助ファイル1』(角川文庫/KADOKAWA)は幾度も映像化や舞台化がされており、劇中に登場する金田一耕助は「日本三大名探偵」の1人として知られているし、その孫の金田一一が活躍する漫画およびドラマ『金田一少年の事件簿』もまた有名だ。
そんな風に一種のポップカルチャー的な存在ですらある『八つ墓村』であるが、9月18日より上映している2026年版の注目ポイントは、やはり「呪怨」シリーズで特に知られる清水崇が監督を務めていることだろう。
実際に観ても今回の『八つ墓村』は「清水崇監督の作家性が全開」「より怪異的・恐怖的な方向へとシフトしている」ことが最大の見どころとなっていた。そのことが後述するように賛否を呼ぶ理由にもなっているが、『八つ墓村』を再び現代で映像化する際のコンセプトとして「理にかなっている」ことをまずは称賛したいのだ。
なお、レーティングはG(全年齢)指定となっているが、岡山県で実際に起きた「津山事件」をモデルとしたシーンがあり、大量殺人の描写は(後述するように清水崇監督らしい演出もあって)かなりショッキングであるので、ご留意のもとでご覧になってほしい。
※以下、2026年『八つ墓村』の決定的なネタバレを避けつつ、一部展開に触れています。
「現代が舞台」かつ「冴えない大学生が主人公」でより親しみやすい導入に

『八つ墓村』の基本的なあらすじは、青年・辰弥が自分の出生にまつわる岡山県の山奥にある八つ墓村に赴き、そこで忌まわしい過去を知り、そして連続殺人事件が起こるというもの。そこに居合わせた金田一耕助が事件解決に挑もうとする様や、鏤められた多数の謎といった要素は、いわゆる「クローズド・サークル」型のミステリーの典型でもある。
2026年版でもその流れを踏襲しているが、大きく異なるのはスマートフォンが登場する現代を舞台としていることだろう。1996年に公開された市川崑監督の『八つ墓村』では特に「戦後間もない」時代背景が強調されていたので、その時点で隔世の感がある。
しかも、主人公の辰弥は「内定ゼロで彼女ナシの冴えない大学生」という設定がなされており、過去の映像化作品よりも「巻き込まれ型の主人公として右往左往する」情けなさが目立っているし、だからこそ彼が事件を通して成長していく過程も見どころとなっている(辰弥の苗字も寺田から井川へと変わっている)。
他にも、「祟りじゃー!」を言う人物にも大胆なアレンジがあるのだが、それは実際に観て確認してほしい。過去の映像化作品も原作からの変更が大きいのだが、そうした違いもまた楽しみのひとつであるし、今回の辰弥の人物造形は初めて『八つ墓村』に触れる人にも親しみやすく感じられる工夫になっていた。
金田一耕助役の尾上松也は憎めないし、要蔵役の滝藤賢一はめちゃくちゃ怖い

その辰弥役の奥智哉が「どこにでもいる普通の青年」にピッタリハマっているし、彼とバディを組む金田一耕助役の尾上松也がとても良い。グイグイと間を詰めてくる図々しさがある一方で、まったく憎めない人好きのする金田一耕助というキャラの印象を見事に受け継いでおり、掛け合いがどこか間が抜けていてクスッと笑えるのも美点だ。

そして、肺に病気を患い余命わずかの田治見久弥と、過去に大量殺人をした要蔵という2人役をこなした滝藤賢一が凄まじい。頭に2本の懐中電灯をくくりつけ、日本刀と猟銃を背中に差したいでたちや、女面をかぶっていない時のギョロっとした目や「圧」を感じられる表情から醸し出される「狂気」もめちゃくちゃ怖い。滝藤賢一は直近で『私はあなたを知らない、』(公開中)や『遥かな町へ』(10月9日公開)では比較的穏やかな役を演じていただけに、そのギャップもとてつもない。
その他で注目は、Netflixシリーズ『地面師たち』で注目された五頭岳夫が、死体を発見する農夫役で出演していることだろう。実は五頭岳夫は野村芳太郎監督の1977年版で殺される村人役を演じており、50年近い時を経ての再登板となっているのだ。
清水崇監督らしい演出が全開。現代らしい「人々が噂に扇動されてしまう」恐怖も
そうした設定のアレンジや豪華な俳優陣のキャスティングはもとより、何しろ目を引くのは、清水崇監督による恐怖演出だ。具体的な描写はここでは避けておくが、画面に映らない「死角」を活かした怖がらせ方や、「さっきまで異常がなかったはずの場所が……」という表現など、随所に清水監督ならではの恐怖演出が盛り込まれている。

その中でも、前述した滝藤賢一演じる要蔵の大量殺人の場面は良い意味で「突き抜けて」いる。ちゅうちょなく次々と人を殺していく様そのものが怖いが、スモークを焚いた中で逃げる人々の背中に銃を撃つカットや、ポスターアートにもなっている桜並木の下を駆け抜ける場面は狂気的でありながらゾクゾクする幻想的な美しさも同居していた。その他にも、宇山洞で撮影された巨大な鍾乳洞や、過去の『八つ墓村』の映像作品でもロケ地となった広兼邸などのルックは大いに楽しめるだろう。

また、物語上では祟りや呪いだけでなく「人々が噂に扇動されてしまう」恐怖も描かれている。実際に清水崇監督は原作で辰弥が語っていた、そうした言葉が強く心に残っていたようで、「SNSでの噂やAI加工によるフェイク動画などに踊らされ、偏った思考や歪んだ正義感による他者への誹謗中傷や晒し上げが横行している現代にも(いや現代だからこそ)通じるテーマだと感じられた」とも語っている。原作の恐怖が、今こそ身近に感じられるというのも、再映画化の意義だろう。
