知の歴史学
知の歴史学 / 感想・レビュー
hitotoseno
みんなわかってると思うけど俺はフーコーが好きなんだよね、という信仰告白をするようにほとんどの論考にフーコーの名前が出てくる。原著のタイトルである「歴史的存在論」というのもフーコーから取ってきた言葉。当然ながら論考の内容もフーコーの方法論を踏襲して、いかにして特定の時代にアプリオリなものが構成されるのか、我々はそうしたアプリオリなものにいかに導かれていくのか、といったことを読み解いていく。馬鹿な批判者と違ってフーコーはギリシャの同性愛文化に魅せられていた、といった偏見もあっさりと一蹴するあたりが好ましい。
2018/02/26
roughfractus02
概念分析と考古学が出会う時、歴史が認識論から存在論に移ると著者は考える。概念に日付と場所を刻むことは、知覚内容を知覚の主観的条件に依拠させるカント的な物自体の区別において歴史を捉えることだ。フーコーを伝統的哲学者と呼ぶ著者自身、カントを受け継ぐ意味で伝統的なのだろう。また、フーコーが現代を語りつつ19世紀を語らないように、本書も彼と同時代を論じつつ19世紀を語り、20世紀初頭への言及は多くない。この戦略は、物自体を無視して線状の時間と平面空間を敷いた歴史と異なり、読む者を別の見方へ向かう契機を触発する。
2017/03/09
takao
ふむ
2018/01/24
ぷほは
現在、概念分析やエスノメソドロジーの分野で展開されている新たな知識社会学の潮流の中で、ひときわ大きく注目されているこの科学哲学者の視点は、どこか「19世紀」的だなー、と思える。例えば彼の提唱する「動的唯名論」や「歴史的存在論」は、20世紀前半のドイツ語圏の知識社会学に近しいものと思えるのだが、彼自身が参照し批判するのは専ら「ミクロ社会学」として名指されている構築主義者やストロング・プログラムの担い手たちなのだった。コントやデュルケムは頻出するが、ヴェーバーや新カント派の科学論の検討がないのも気になる。
2016/03/12
wanted-wombat
科学と哲学、そして歴史。それらを横断、あるいは総合しているハッキングの思考というものを体験できる。著者自身によるハッキング入門、とあるように様々なトピックについてその時々に書いたとされる論文を集めた書籍であるが、一貫している。デカルト、フーコー、クーンなども読みたくなること請け合いである。
2013/04/04
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