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「死」を哲学する (双書 哲学塾)

「死」を哲学する (双書 哲学塾)

「死」を哲学する (双書 哲学塾)

作家
中島義道
出版社
岩波書店
発売日
2007-10-05
ISBN
9784000281553
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「死」を哲学する (双書 哲学塾) / 感想・レビュー

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coaf

哲学の知識がないと理解に苦しむところがいくつかあった。とはいっても、大部分は一般読者でも理解できるように書かれている。死と時間と他者と無とを結びつけて論じている。時間論の章はやや退屈で本書にはあまりそぐわなかったように思う。言語という視点から時間や他者、無を論じるという観点は興味深かった。

2013/05/02

ichiro-k

先月の彼岸に、生まれて初めてひとりで墓参りに行った。正確には、彼岸の墓参りは幼少期に帰り道のご馳走につられて祖母と40年以上前に訪れて以来だ。その墓にはずいぶん前に亡くなった祖母と父親が眠っている。不信心ゆえにオカルティックな感慨はなかったが、年齢的に漠然と「自分の死」を意識した。事故などによる突然の死とは別として、生物としての寿命(70~80年)は理解できるが、「時間(過去・現在・未来)」の哲学的概念はほとんど理解できなかった。「過去に経験がないこと」を予測・予想(未来という概念らしい)しているのは不安

2011/04/13

小野タカヒロ

「私が死ぬと、私は私と他者とのあいだにそびえていた壁を打ち破って無それ自体へと越境するのです。しかし、同時に私は人間の言葉を失う。私の死とは、私がこれまで習得してきた言葉の境界を越えることなのです」 人間は、言葉を手に入れてしまったあまり、こんなにも言葉に縛られてしまうのだということを感じさせられる。時間、存在というものが、言葉によって造り上げられるものだということを改めて確認する。途中からついていけなくなったが、所々は面白かったです。

2015/03/02

hideaki

まず、死が怖いのは「100年経とうが1億年たとうが、私はずっと死んだままであり、決して生き返ることはない」からだとしよう。とすると、仮に死後100年して(肉体は無理であっても)なんらかの仕方でこの意識が蘇り「ああ、自分は100年間死んでいたのだ」と過去を想起するように「死の体験」を思い返せたとしたら。「私の死」とは、ちょうど長い眠りさながらであって、前述の恐怖は緩和されることになるだろう。中島は精緻に言語をたどっていきながら、まさにその可能性を本書で提示してくれる。→

2019/09/05

伊崎武巳

「死」を哲学する 中島義道 人は言葉を獲得した途端、他者と自分の間に横たわる差異という溝を無視することになってしまう。我々はふつう、他者が彼自身のことを「私」と言うことに違和感を感じない。これが、ことばを獲得するということである。 彼が「痛い」というのと、私が「痛い」というのとは違うし、彼が感じている痛みは絶対に経験することはできない。 でも「痛い」という人間の共通することばを使うことによって両者の絶対的差異性を無視してしまうことになる。

2018/04/18

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