夜と陽炎 耳の物語2 (岩波文庫 緑 221-3 耳の物語 2)
夜と陽炎 耳の物語2 (岩波文庫 緑 221-3 耳の物語 2) / 感想・レビュー
いのふみ
「私」という語を使わず、自分を語るという手法が伝統的なものだったとは知らなかった。壽屋時代が仕事や同僚など、社会の喧騒に塗れながらも愉快に感じられるほどであるのに対して、作家専業時代は別人のような陰鬱さを感じた。何かに追い立てられているような焦燥も感じた。
2019/09/15
さえもん
心は捉えようがなく捉えようとすると崩れてしまう。それを崩さずに言葉で表現しようとする。でも、言葉で表現しようとすると固定されてしまう。その苦闘が開高健の文章からは読み取れる。人間はこの苦闘を続けていくのだと思う。 初めて聴く音楽で鳥肌が立つ、でも、そのあとで何回聴いても初回のような圧倒された感じを体験することはできない。著者も同じような体験をしていて何か嬉しい感じがした。
2022/11/26
大臣ぐサン
性表現が下卑ていて気持ち悪くてやだな。
2022/07/23
がんもどき
なし崩しに結婚してもなんとかなってしまって、今より景気が良い時代だったのだなと思わされる。そしてその味を硫酸のようだと例えながらの酒浸り。飲まなければ生きていけないほど辛かったのか。妻子からの罵倒が読んでてきつかった。右半身に異常を抱えながらの結びには先の生活の不安しか感じられなかった。
2020/06/24
まどの一哉
自分はあまりルポルタージュ小説を好むほうではなく、どちらかといえばインドア・妄想型の作風を愛する者だが、社会派小説やプロレタリア文学も好きだし、開高健の「自分の中には何もなく、ひたすら外へ向かう遠心力で書く文学」という動機も理解出来る。 ただ、ともすると世のルポルタージュ小説は文章としての魅力に乏しいものに出会うことがあって、まるで新聞記事を読んでいるのと変わらない寂しい印象だ。
2019/05/30
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