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決闘写真論 (朝日文庫)

決闘写真論 (朝日文庫)

決闘写真論 (朝日文庫)

作家
篠山紀信
中平卓馬
出版社
朝日新聞社
発売日
1995-05
ISBN
9784022610850
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決闘写真論 (朝日文庫) / 感想・レビュー

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ナカダマサトウ

ものの本曰く「『既知が未知化』する瞬間に注がれる中平の瞳の鋭さ」──「いくつかの点があり、その点をつなげてわれわれは全体としての線を思い描く(中略)見るとは経験をともなった行為であり、記憶とか、イメージといった歴史的に紡ぎ出された私の側からの心的な投影」──撮る=見る=見られるということに極めて自覚的で、がためにカメラという媒体の臨界点を見定めようとする中平卓馬という人間はすでに満身創痍──だが解説で赤瀬川が言うように、渾身の一滴として落下する彼を渾身の張り手で昇華させ続けるのはまさに篠山紀信なのである。

2017/11/18

どべ

90年代初めにこの本の存在を知って、読みたいと切望していたら突然文庫本として復刻。中平が、この本以前も以後も常に受容的であれ、自意識の崩壊と再創造の事を繰り返し述べている意味が見え隠れ…そして写真は常に人に寄り添う形にあるという事からある種人生哲学的な深みにやられてしまうかも。大竹昭子も『眼の狩人』あとがきに、写真家の生き方はアナーキーすぎるとか書いてあったと思う。確かにそうで、そこには経済的にとか社会的にとか人生を考えようという所は微塵もない。「その一瞬一瞬の直立した継起。それが生の肉質ではないか。」

bittersweet symphony

共著者各々の写真作品と文章が出ているのかと思ったら、篠山:写真、中平:文章という組み分けでした。篠山の写真は徹底的に凡庸でただ物量で攻めるもの(本人もそう認識している)、中平の文章はインテリ嫌いのインテリ崩れの文章で(1977年という年のせいでもあるがこれがまた凡庸なポストモダニズム論)、これが逆なら相当面白いものになっていたのにと悔やまれます。才能のある建築家と才能のある写真家は難解な意味不明の文章を書きがちであるという見本のひとつかもしれまません。

2005/05/18

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