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決闘写真論 (朝日文庫 し 15-1)

決闘写真論 (朝日文庫 し 15-1)

決闘写真論 (朝日文庫 し 15-1)

作家
篠山紀信
中平卓馬
出版社
朝日新聞出版
発売日
1995-05-01
ISBN
9784022610850
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決闘写真論 (朝日文庫 し 15-1) / 感想・レビュー

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中玉ケビン砂糖

ものの本曰く「『既知が未知化』する瞬間に注がれる中平の瞳の鋭さ」──「いくつかの点があり、その点をつなげてわれわれは全体としての線を思い描く(中略)見るとは経験をともなった行為であり、記憶とか、イメージといった歴史的に紡ぎ出された私の側からの心的な投影」──撮る=見る=見られるということに極めて自覚的で、がためにカメラという媒体の臨界点を見定めようとする中平卓馬という人間はすでに満身創痍──だが解説で赤瀬川が言うように、渾身の一滴として落下する彼を渾身の張り手で昇華させ続けるのはまさに篠山紀信なのである。

2017/11/18

おとん707

共に写真家の篠山紀信と中平卓馬が紙上で対決するという企画。1970年代に「アサヒカメラ」に連載されたものが単行本化され、さらに文庫本化されたもの。したがって写真は小さい。できれば元の大判で観たかった。決闘写真論と言っても写真作品は紀信のものだけ。それに卓馬が写真論で決闘を挑む。元が専門誌の連載なので卓馬の写真論は好事家的。しかもそのほとんどは紀信の写真とは直接関係ない持論。その論調は70年代前半を席捲した学生運動のそれを想わす。卓馬の過激な論調と紀信が仕事の合間に撮った山口百恵の笑顔が噛み合わずに面白い。

2023/10/14

bittersweet symphony

共著者各々の写真作品と文章が出ているのかと思ったら、篠山:写真、中平:文章という組み分けでした。篠山の写真は徹底的に凡庸でただ物量で攻めるもの(本人もそう認識している)、中平の文章はインテリ嫌いのインテリ崩れの文章で(1977年という年のせいでもあるがこれがまた凡庸なポストモダニズム論)、これが逆なら相当面白いものになっていたのにと悔やまれます。才能のある建築家と才能のある写真家は難解な意味不明の文章を書きがちであるという見本のひとつかもしれまません。

2005/05/18

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