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西田幾多郎 言語、貨幣、時計の成立の謎へ (角川ソフィア文庫)

西田幾多郎 言語、貨幣、時計の成立の謎へ (角川ソフィア文庫)

西田幾多郎 言語、貨幣、時計の成立の謎へ (角川ソフィア文庫)

作家
永井均
出版社
KADOKAWA
発売日
2018-11-22
ISBN
9784044001841
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あらすじ

私の底に汝があり、汝の底に私がある――。「私」と「汝」がともに「彼」に変容することが、言語の成立ということなのだ。西田哲学を他の哲学論と丁寧に比較、論じながら独自の永井哲学を展開。さらに文庫版付論・時計の成立「死ぬことによって生まれる今と生まれることによって死ぬ今」で、マクタガートの「時間の非実在性」の概念を介在させ、考察を深めた。無と有、生と死の本質にせまる圧倒的な哲学書。NHK出版『シリーズ・哲学のエッセンス 西田幾多郎<絶対無>とは何か』に新しく付論を加えて文庫化。

西田幾多郎 言語、貨幣、時計の成立の謎へ (角川ソフィア文庫) / 感想・レビュー

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へくとぱすかる

何かを語るのに、それ以上深部に進めず、核心にたどりついたと思ったら、逆に包囲されていた、それも自分自身に、とでもいうしかないような構造になっているという理解でいいんだろうか。「私」を「場所」としてとらえることは、図柄の文様と地が逆転するルビンの壺みたいな発想だと思った。A系列・B系列は、まるで違うものなのに、現実の時間はどちらもありの、まさに矛盾の重ね合わせだと思える。基本的で単純なものこそ、語るのは困難。

2018/12/03

ころこ

冒頭の『雪国』の冒頭にある文章が、ウィトゲンシュタインの幾何学的な目を持った<私>=世界となる視点と同じものだという着想から出発しています。画面のフレームの無い視点という比喩は、今回にこそあてはまります。「知即行」も意識を認めない分析哲学の議論に似ています。デカルトの私と西田の私も、『青色本』の「ウィトゲンシュタイン」<私>の議論と重なります。著者の西田理解によれば、直接的自己意識は各々が持っているため、主語の統一ではなく、「述語の統一」によってその視点は存在することになります。西田の言葉でいえば「純粋経

2019/01/24

TOMYTOMY

私とは、というところが永井さんである。 決して宗教的なものへの接近で終わらず、場所ということ無ということが私と汝、時間でも紙幣でも言語でも言えるじゃんというのを凄い複雑に解説してきて、分かったような分からないような。 西田哲学入門書からまた読み直します。

2018/12/04

Amano Ryota

永井均さんが初めに断っているように、本書は西田幾多朗の哲学の入門書であり、永井均さんの哲学の場所でもある。『世界の独在論的存在構造』を読んだ後だと、格段に読みやすいけれど、かえって分かりにくい印象を受けた。完全に個人的な感覚で言えば、議論に浸り着くというより、小説のような没入感がある。その意味で付論はエピローグのようで印象深い。私は汝によって殺され、私は神によってまた生かされる(殺される)。だけど、そのことを神は知る由もない。これが存在の孤独な祝祭と言う比喩で言い表したい問題であるのだろうか、と夢想する。

2018/11/30

shun

デカルトの「我思うゆえに我あり」という言葉を久しぶりに考えてみた。さらにその我はイコール私ということではないのだと。川端康成の「雪国」の考察から始まる「私」という存在の考察。「私」とは言葉に還元された存在で本来の私は何処にあるのだろうか?過去の「私」は私なのか?私が認識する「今」とはすでにこう書いているうちに過去になっている。改めて日常では考えないようにしている「私」の存在について考察するのはとても楽しいことだ。本来の私が在るでであろう無の世界を想像してみるがそれを言葉で表現した途端に「無」ではなくなる。

2018/11/29

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