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世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

作家
白洲正子
出版社
講談社
発売日
1996-11-08
ISBN
9784061963948
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世阿弥―花と幽玄の世界 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ) / 感想・レビュー

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Gotoran

白洲正子、壮年時のエッセイ。自ら能を習っていたと云う著者が、花伝書と花鏡、申学談義を引きながら能楽について自らの理解と経験を基にわかり易く解説を加えている。 梅若善政の初舞台で観た「花」の話から始まり、世阿弥と足利義満との関係、「年来稽古条々」、「花」、「初心」、「物真似」、「二曲三体」、「幽玄」、和合の精神、翁と能面、能の作曲、自然居士と東岸居士、世阿弥の晩年が語られている。「序破急」の「苗秀実」の話から世阿弥の生き様を垣間見ることができる。興味深く読むことができた。

2023/11/03

A.T

捉えどころがなく、見ても眠くなるだけだった能の鑑賞のポイントを、いくつか教えてもらえたように思います。能には決まった構成があった。「序破急」というのがそれで、最初に「翁」が1人登場し、脇能が「ワキ」によって神の能が舞われる。高砂、弓八幡、養老といった演目がそれで、これを「序」とする。次に修羅物、武将の幽霊、主に平家の公達を「シテ(主役)」に、続いて女の能でかつらものとも呼ばれるもの(松風、井筒など)、

2024/01/28

Hatann

明治になって発見された世阿弥の著作を踏まえ、著者自らのお能の舞台体験と古典美の素養をもとに、花と幽玄を始めとする世阿弥が表現したお能の諸概念を語る。能楽や世阿弥、その著作を単なる考察の対象とするのではなく、積極的に内側に入り込んで一体化して認識した言葉を紡ぎ出す。学者・作者・演者・観客の境界を曖昧にして、むき出しの身体的感覚から直接的に語る表現方法に痺れる。一生を通じて初心を忘れず、能の果てを見せずに上達して行く姿のままで終えることを極上とする。命には終りあり、能には果てあるべからず。次世代へとつなぐ。

2023/01/26

邪馬台国

今までの読書で度々遭遇した世阿弥について、ようやく読む機会を得られました。一冊ですんなりと全て把握できるとは思っていなかったので、難しいなりに能ないし芸術論にまずは目を通せて良かったです。能楽堂へは一度だけ足を運んだことがあるので、多少その時の体験と照らし合わせられました。とはいっても簡単にすとんと身に落ちるほどやわでもなく……今は節々の琴線に触れた言葉を大切にしたいと思います。特に離見の見という考えはは創作において重要だなと思うので、この言葉と出会えたのは収穫でした。

2017/01/03

ソバージュ

白洲正子の目を通した敬愛する世阿弥像であり、申楽、観阿弥、幽玄などについてより知ることができた。書店にて度々目にしていた著者名だが白洲次郎の奥方としか知識なく、著者への興味が増した。

2020/03/06

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