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ヴァレリー 芸術と身体の哲学 (講談社学術文庫)

ヴァレリー 芸術と身体の哲学 (講談社学術文庫)

ヴァレリー 芸術と身体の哲学 (講談社学術文庫)

作家
伊藤亜紗
出版社
講談社
発売日
2021-01-12
ISBN
9784065223826
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ヴァレリー 芸術と身体の哲学 (講談社学術文庫) / 感想・レビュー

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アキ

「ヨーロッパはアジア大陸の大きな岬になるであろう」1919年イギリスの雑誌に掲載されたテクストが今に至るまで引用される。なぜヴァレリーの言葉は引用され、増殖するのか?それは言葉そのものの力である。「純粋詩」の提唱者とされる彼の「芸術哲学」をⅠ部作品論、Ⅲ部身体論に、それをⅡ部時間論が橋渡しをする。そこでは、詩と生理学を結びつけ、人々がみずからの身体を再び所有する役割をもたせることを論じる。最近多くの著作がある伊藤亜紗が自身の博士論文に加筆し、彼女の美学の原点である著作。「詩を作ることは詩である」ヴァレリー

2021/03/04

石油監査人

この本は、20世紀初頭のフランスの詩人、ポール・ヴァレリーが残した膨大な詩論を、美学者で東工大教授の伊藤亜紗が調査・研究した学術論文です。ここで、伊藤は、ヴァレリーの詩が人間の身体を動かす装置と作られていることを発見します。とても、ユニークな視点で、例えば、「この手」という詩を声に出して読むと、自分の手が意志から離れて、別の生き物のように動き出します。詩には、予定調和を断ち切る作用があることは、以前から感じていましたが、身体を拘束するまでとは気が付きませんでした。伊藤の身体論に、今後も注目しています。

2022/03/07

しゅん

再読。詩を「装置」と考えるときに、装置を受ける読者がどこまで自由を行使できるのかは、もう少し考える必要がある。自由なようで不自由ということは、表現体験の中で往々にして起きる。そのことをどう考えるか。

2023/10/25

∃.狂茶党

言葉が、視線を誘導、あるいは行動・意識を縛り上げ、集中へと誘う。 歪んだ鏡面に意識を集中させることで、催眠に誘う術があるように、詩の言葉、散文と異なり音楽的な身体を動かす言葉は、人の中に応答を紡ぎ出す。 ヴァレリーという人は学者であるようで、いろいろしらべ、書き留め、編纂し、またそれを言葉になどということをずっとやってたようです。 詩集と『カイエ』あと、詩論的なものを読まねば、と思わせます。 ヴァレリーによれば詩は朗読してこそであるようなのですが、ここで翻訳という大きな壁が立ち塞がりますね。

2021/12/28

gorgeanalogue

とても面白かった。実際にヴァレリーが関心を寄せていたかはわからないが、「現象学的詩学」のような趣。世界と身体の関係、そして言葉を「失敗」させ、「動詞の欠如」を通じて読者=詩人の器官の機能そのもの(自らを聞く耳)を開こうと促す詩。著者はそれ自身「錯綜体」のような「カイエ」のアフォリズムを巧みに原動化し、鋭い刃のように研ぎ、解剖し、「燃え上がらせる」。しかもその経験はすばらしく「促し」に満ちた文庫解説の細馬宏通氏が指摘するような、宙吊りになった自分の「身体」がまるで幽霊のように立ち上がる契機も含んでいる。

2022/02/04

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