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緑色のストッキング・未必の故意 (新潮文庫 あ 4-21)

緑色のストッキング・未必の故意 (新潮文庫 あ 4-21)

緑色のストッキング・未必の故意 (新潮文庫 あ 4-21)

作家
安部公房
出版社
新潮社
発売日
1989-04-01
ISBN
9784101121215
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緑色のストッキング・未必の故意 (新潮文庫 あ 4-21) / 感想・レビュー

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hiro

この文庫に収録されている4編のうちの3編は自らが1973年に設立した演劇集団「安部公房スタジオ」で自らが演出した安部公房的不条理演劇の戯曲。「愛の眼鏡は色ガラス」1973年6月/西武劇場、「緑色のストッキング」1974年11月/紀伊國屋ホール、「ウエー(新どれい狩り)」1975年5月/西武劇場。ただ演出もかなり独特たったようで観ていない僕にはその本当の面白さはわからない。ただ僕が強く観たかったと思った演劇として極度に抽象化された「棒になった男」1969年と比べると文学的要素が濃い。

2020/11/23

Rockwell

『未必の故意』は、よそ者は排除するという郷土愛の恐ろしさを浮き彫りにしている。『愛の眼鏡は色ガラス』は、精神病院が舞台。個人的には赤医者が大好き。正気と気違いとの相違・定義は何であろうか。『緑色のストッキング』は「盲腸」と同じ題材を使用。人間を草食へ改造。医者の「虫だよ、虫。つまらない、ただの虫けら!」に衝撃を受ける。『ウエー(新どれい狩り)』は、人間そっくりのウエーという珍獣をめぐって展開する。人間であることを証明するのは簡単じゃない。いずれの作品も公房らしいテーマ。ドナルド・キーン氏の解説が素晴らしい

2011/09/14

井蛙

普通に絶版なので、全集を借りて読んだ。これらの戯曲をあんまり象徴的に解釈する必要はないのでないかと思った(つーか諦めた)。この気の狂った作品を、僕たちはまず一番信用の置けそうな人物に従って読んでいくのだが、その人物がいつの間にか劇の向こう側に回り込んで、僕たちを狂気の側に拉し去っていることに気付かされる。これらの作品の中に、劇を相対化し、観客との間を仲介するような特権的な登場人物は存在しないし、観客自身でさえ気づけば劇の方に相対化されているのだ。そういうメビウスの輪をぐるぐる回っているような面白さがある。

2019/12/04

人工知能

安部公房による戯曲を4編収録。どれも安部公房らしい作品で、設定が斬新だったり、他者との関係性が逆転したりする。「緑色のストッキング」は、下着泥棒の男がある日、家族に自分が下着泥棒であることがばれて、それを苦に自殺しようとしたところを医者に助けられ、将来の食糧難を解決するために草食人間へと変えられる。草食人間になったあとの描写がとにかく面白かった。ただ面白いだけでなく、そこには「人と違う」ことによって排斥される人という普遍的な問題も内包している。

2015/02/20

ジョナサン

初戯曲。正直、苦手かもと思いながら読み出したけど、内容が面白くてすらすらと読み進められました。愛の眼鏡は色ガラスは二度読みした。この歳になって、安部公房の良さが分かってきたかも……

2012/05/08

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