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罪と罰〈下〉 (新潮文庫)

罪と罰〈下〉 (新潮文庫)

罪と罰〈下〉 (新潮文庫)

作家
ドストエフスキー
工藤 精一郎
出版社
新潮社
発売日
1987-06-09
ISBN
9784102010228
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罪と罰〈下〉 (新潮文庫) / 感想・レビュー

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absinthe

お前が何をしたかすべて知っているぞ。恐ろしいつぶやきが聞こえてくる。飲んだくれの独白。何ページ続くのか?この内容が凄い。人間の怠惰、傲慢、不安。全ての人に共通する心の内面が暴かれる。主人公に救いはあるか、希望はあるか。生涯の友の一冊。

absinthe

罪の意識や人への思いやりなど人間に好ましい性質のいくつかは、進化上は恐怖心から発達してきた可能性があるという。集団からつまはじきにされたくないという恐れかもしれない。ラスコーリニコフの心理も多くは言いようの無い恐怖心に見える。単純に牢屋が嫌だとか、死刑が嫌だとか、程度の低い人間から質問攻めにされるのが嫌とか、理屈で説明がつくものとは明らかに異質。日常の中で観察される心では、恐怖と思いやりは別物だが、極限の状態に置かれたとき、心の根底に張り巡らされた絡み合った根があらわになる。

2019/11/17

こーた

おれは殺人の罪を悔いているのではない、罪を犯したことに耐えられなかった、己の卑小さを悔いているのだ。若者はみなどこかで、自分は何者でもない、偉大な人間などではなかった、ということに気づき、それを受け入れることでようやく、他人を、また自分も愛せるようになるのかもしれない。多くの者が、ひとしく経験する挫折。その経験は、なるべくなら早いうちにしておいたほうがいい。できれば人を殺してしまう前に。それでもこの青年の場合、八年の刑期をおえたあとでも、まだいまのわたしより若いのだ。まだ、やり直せる。だから、⇒

2018/08/17

れみ

自らの理論のもとに高利貸しの老婆を手にかけたラスコーリニコフはポリフィーリィやスヴィドリガイロフとの対決や娼婦ソーニャとの出会いを経て自らの身を司法の手に委ねるにいたる…というお話。出口の見える気配がなく鬱々としつつも、そこを経て最後には少しの希望が見えた気がした。でもきっとドゥーニャやラズミーヒンを含めて決して平坦ではない道のりが待っているんだろうなあ。ドストエフスキー本人や交流のあった人々の人生や思考が登場人物たちの姿を借りてひとつな大きな物語に練り上げられて昇華したという感じ。

2016/09/19

のっち♬

予審判事ポルフィーリイとの三度に回る対決はプロット上のクライマックスとも言え、鬼気迫るような緊張感と仏心に引き込まれた。「何者でもない」ことに徹して生への執着を減退させるスヴィドリガイロフも重要人物。存在に意義や価値を求めることの無意味を示唆する理論はラスコールニコフの結末でフォローできない更なる混迷に著者を陥れた。その人にとっての真実とは理屈への安易な服従からではなく、独自の嘘への度重なる苦悩の末に見出されるものかもしれない。人間は軌道修正が出来るからこそ「新しい現実を知るものがたり」を生きられるのだ。

2018/09/04

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