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小説の自由

小説の自由

小説の自由

作家
保坂和志
出版社
新潮社
発売日
2005-06-29
ISBN
9784103982050
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小説の自由 / 感想・レビュー

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踊る猫

作家は皆そうだとも言えるのだが……保坂和志はきっと、「事前に」理論の青写真を組み立ててそれを律儀に記述していく人ではなく、書きながら考える人なのではないかと思う。だからこの一冊の中には矛盾があり(それは弁証法的に乗り越えられるのだが)、しばしば論旨は見えづらくとっ散らかっているようにも感じられる。ペン、もしくは指を動かし「書く」。そこから思考を立ち上げ、その生成されたばかりの思考に自ら畏怖し、更に考え続ける。その考察の強度に舌を巻く反面、とっ散らかりぶりととっつきにくさに辟易するのも確かなので痛し痒し……

2020/11/04

ぽち

これは小説論、ではなく小説について書くという行為から発生する思考とそれに先んじていた思考=記憶をまとめた文章の月間連載最初の十三ヶ月分を収めた書籍である、というやや回りくどい書き方をしてみたくなるのはこの書籍の終わり二章分で書かれているアウグスティヌス神の国告白のアウグスティヌスの思考方を注意深く考え辿り記していく文章を読み終わったばかりだからで、書く前に頭の中で整理せず考えていた状態に比べこの文章はいくらなんでも酷過ぎる、あと考えていたのは読メのこの欄の事で、

2021/06/02

やまはるか

再読 新潮2004年1月から翌年2月号掲載。小説は言葉を用いた表現手段であるのに筆者は言葉による説明や言葉の意味を否定する。「世界に対する不可解さを問の形にまでするところにしかその仕事はない」「社会の向こうにある世界(作品世界か?)は選択肢など与えてくれず、茫洋として手がかりがない。人はその手がかりのなさに耐えなければならない。それはそのまま、カフカやベケットを意味づけせずに読むことだと言えるのではないか。」川端康成ノーベル賞受賞時、小学6年であった筆者が学校帰り友人と川端宅を訪ねた後書きは心温まる。

2020/05/24

しゅん

保坂和志は何も信じていない。特定の作家(たとえばカフカや小島信夫)を信じていないし、特定の作品を信じていないし、読者を信じていないし、なにより自分を信じていない。ただ、小説を書き、読むという行為の中で生成される運動だけを信じている。読み手にも書き手にも変化を与えるものでなければ小説とは呼べない。だからこそ、保坂は計画通りに書かれた小説に興味を持たない。大切なのは変容。変わっていくプロセスの中で人は自分らしさを獲得する(「彼が彼自身として生きる」)し、その中で小説の自由は生まれる。

2016/02/17

三柴ゆよし

なにか意味のある(あるいはない)文章を書くときに、どちらかといえば後先考えずにダーッと書いてしまうほうで、そんなことだから、自分でもなんでこんなことを書いたんだか全然わけがわからない、ということが間々あるのだけど、この本はそういう感じの、場当たり式に書かれた、ある意味ではとてもいいかげんな本だと思う。整理の欠如が思考の蠕動をうながす。受動という立場は失われる。小説とはその一点に釘付けされた形式ではなく、絶え間のない運動なのだということ。実践によってそれを提示した、稀有な「作品」である。

2010/04/13

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