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法然親鸞一遍 (新潮新書 439)

法然親鸞一遍 (新潮新書 439)

法然親鸞一遍 (新潮新書 439)

作家
釈徹宗
出版社
新潮社
発売日
2011-10-17
ISBN
9784106104398
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法然親鸞一遍 (新潮新書 439) / 感想・レビュー

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月讀命

最近通夜や告別式に出る機会が多くなった。昨日は臨済宗の葬儀に出席したが、普段聞きなれた我が家のお経(浄土宗)とは全く違う。母の実家は浄土真宗であり、妻の実家は真言宗でどれも違和感がある。(未だ嘗て時宗の葬儀は体験した事は無い)お経を聞いてもその意味は解らないが、この本を読めば三祖の云わんとする事が解るではないかと思い読んでみた。念仏を唱える事で凡人が救われると説いた法然。悪人の為の仏道を説いた親鸞。捨てる、任せる事で、遊行の境地に達した一遍。浄土宗・浄土真宗・時宗の三祖を比較し、それぞれの「信心」に迫る。

2012/10/10

樋口佳之

日本の念仏者たちは、浄土仏教の仏道がもともと仏教の中では脇役であることを充分に自覚していました。悟り型の仏道こそ本来の仏教であることは、しっかりと理解していた上で、「末法の時代には、もはや悟りの道を完遂することができない」「私のような愚者は他力の道しかない」との姿勢を明確にする

2018/06/29

nbhd

何冊か読んできて、何となく見えてきた親鸞さんの魅力。それは、徹底した「オレって”ダメな人”なんだよね感」にあるのだと思う。浄土教の三祖の「信心」を比較検討した本、やや難解。浄土教の教えは、旧来の仏教から「救い型」へとウルトラC的な転換をもたらしたとはいうけど、当の親鸞さんはいつでも迷いの中にいて、ひたすらに弱い。二項対立思考の師匠・法然、教えをダンスへと一元化した後続の一遍。そのあいだにあって、どっちつかずの親鸞さん。ここらの具合は、僕の中ではヴォネガットの「そういうものだ」的な宙ぶらりん状態と似た感触だ

2016/04/27

calaf

全く新しい事を始めた天才法然、引き続き発展させた秀才親鸞、跳ね返りの異端児一遍という感じ? (大汗)

2011/12/12

moonanddai

こんなことから書いてしまうと、馬鹿かと言われてしまいそうですが、以前からブッタの原始仏教と、我が家の宗派である浄土宗の教えとの間にギャップというか違和感を感じていました。なんでこうなったんだろうか…と。そこには法然という人が「出て」、「悟り」から「救い」への、仏教上「画期的な」転換を行ったということですね。ただその浄土教の流れは、仏教上主流派ではないのでしょうが、日本においては(おそらく)主流となっている。そこにはやはり日本的な歴史的背景があり、一神教的な「弱者の宗教」となっていったということでしょうか。

2018/03/06

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