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西田幾多郎 <絶対無>とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)

西田幾多郎 <絶対無>とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)

西田幾多郎 <絶対無>とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)

作家
永井均
出版社
NHK出版
発売日
2006-11-28
ISBN
9784140093368
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西田幾多郎 <絶対無>とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス) / 感想・レビュー

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ykshzk(虎猫図案房)

「海が見える。」例えば小説の中にこういう文章が出てきても、変な日本語ではないはず。英語のように、誰が見ているのか?ということを疑問に思わなくても良い。そこで、私が見ているに決まっているからと言えれば簡単なのだが、それで済まないのが西田哲学の「純粋経験」の面白いところ。私が海を見ているのではなく、海が見えていること自体=私、ということ。突き詰めると、私、というのはどんどん無くなって行く。興味深かったのは西田氏の短歌達。「赤きもの赤しと云はであげつらひ五十路あまりの年をへにけり。」なんだ、結構辛かったのね。

2021/03/22

阿呆った(旧・ことうら)

[シリーズ・哲学のエッセンス]後半ちょっとわかりにくいなー。『意志において互いに衝突がない場合が「無意識」、複数の動機が互いに衝突する意志というものが「意識」』というくだりにはなるほどと思いました。

2015/10/12

うえ

テーマ関係なく冴え渡る永井節。興味深い話も。「むかし私は、本来は世界そのものなのだが言語においては実体化されて個物的な指示対象を持ってしまう「私」を、そのことを表示するために(私の上に×印)と表記しようとした。この表記法はさる学術雑誌の印刷所に拒否されたので、やむなく「×」を解体し「〈〉」と表記することにした。つまり、私×ではなく、〈私〉である。この変形抹消記号を使うと、西田の用語の多くはこの記法が適用できることがわかる。たとえば〈絶対無〉。西田的矛盾語法の根幹にあるのは、ここで述べた種類の問題である」

2020/05/12

Yohei

想像以上の難しさ。西田vsデカルトは興味深かった。

2019/02/27

ゆきだるま

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」→英語だとThe train came out of the long tunnel〜と、明確な主語がある。しかし、この場合西田哲学であえていうなら、国境の長いトンネルを抜けると雪国であったその事自体が私…冒頭の数ページを読んで、短歌の私性みたいなものを考えたりした。

2022/09/25

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