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母性のディストピア II 発動篇 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-3)

母性のディストピア II 発動篇 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-3)

母性のディストピア II 発動篇 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-3)

作家
宇野常寛
出版社
早川書房
発売日
2019-07-18
ISBN
9784150313753
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母性のディストピア II 発動篇 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-3) / 感想・レビュー

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ころこ

著者の身振りがいつも空回りにみえるのは、その射程が長すぎるから、だと思います。正確には、著者が思っているよりも実際は短く、振りかぶり力み倒しても、実際には遠くに行けない。でも、サブカル批評でそこまで遠くに行けなくても良いのではないかとも思います。本書を書く動機は、宮崎、富野、押井をひとつの本の中で書くのに不自然にならないようにということ以上ではないでしょう。それぞれ論としては十分な水準で充足して完結していています。巻末のインタビューの語りの方がサブカル論と同期しており、著者の等身大だなと好感を持ちます。

2021/11/27

Hiroo Shimoda

我々は成熟できるのだろうか。箱庭の中で世界に繋がる夢を見続けるのか。匿名で石を投げる行為はまさに肥大した母性と矮小な父性の噴出なのか。

2019/11/30

鳩羽

成長・成熟を目指しきることもできず、母性のディストピアという袋小路に陥る戦後アニメーション。情報論的展開でそこから抜け出そうとした押井守を紹介しつつも、映像の世紀からネットワークの世紀へと時代は移り、母性の粘度は高まるばかりで、虚構は現実に時代の糧となる想像力を提示できない。ディストピアの未来を捉えていたという意味で優れたアニメ作品だったのでは。これからの未来を想像するのに従来のアニメでは無理かもしれないが、むしろ人間自身がアトムの命題を背負うようになり、自らに重ねやすくなるかもしれない。

2019/08/10

うさみP

拡張現実を予見しながら、映像に引きこもった押井守。虚構で現実を剥き出しにするゴジラの命題。子を産み続ける血生臭い父母の連続ではなく、知による冷たい鋼鉄の繫がりの可能性。百合が射程に入っていないのは何故?正すべきところは正しつつも、長すぎた戦後の歪みである「肥大化した母性と矮小化した父性(情けない父)」という使い古された言葉ではなく、「大きな母と小さな父(母強し)」と読み替えて自覚的に受け入れるのが大切なのでは?。これこそ鳥は重力に逆らって飛ぶのではなく、魚は陸に焦がれて泳ぐのではない・

2019/07/29

ますりん

長い長い作家論がやっと終わり、後半やっと本題に。 矮小な父性と肥大化した母性の結託、アトムの命題/ゴジラの命題という論点を軸に、私/世界、物語/ネットワーク、自己幻想/対幻想/共同幻想、等々、いくつもの補助線を引きながら分析していく。結論は強引に自ジャンルに引き込んだ感もあり腹落ちしないものの、膨れ上がる自己幻想と大きな物語を安易に直結して精神や身体の安定を図るという情けなくやるせなく愚かな所作は、どこまでが組み込まれた愚かな本能で、だとしたらどう愚かさを変えていけるのかを読後ずっと考える。

2020/01/05

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