アリと猪木のものがたり
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「アリと猪木のものがたり」のおすすめレビュー
アリ対猪木の伝説―「世紀の凡戦」の最中で2人の天才はおたがいの中に何を見たのか?
『アリと猪木のものがたり』(村松友視/河出書房新社)
モハメド・アリ対アントニオ猪木―。40年以上前に行われた歴史的ボクサーと極東のプロレスラーの一戦は、「世紀の凡戦」として語り継がれている。しかし、2016年にアリが他界した際、テレビ朝日が追悼としてこの試合を再放送したように、なぜか人々の心をとらえて離さない。
『アリと猪木のものがたり』(村松友視/河出書房新社)はベストセラー『私、プロレスの味方です』の著者・村松友視がアリ対猪木戦について綴った一冊。猪木と親交があり、アリとも面識を持った著者だからこそ書けた内容が詰まっている。興味深いことに、40年の時を経てあの試合を分析したとき、著者に見えたのは両者の「対立」ではなく「共通点」だったという。そして、その共通点は、人々が「世紀の凡戦」を愛し続ける理由の一つなのではないだろうか。
1940年生まれの著者は、アリより1学年上、猪木より2学年上である。力道山の時代からプロレスの虜になり、格闘技ファンとして育った著者にとってアリも猪木も重要なヒーローだった。アリと猪木の人生を振り返ると、ボクシングと…
2018/1/26
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アリと猪木のものがたり / 感想・レビュー
starbro
村松友視は、『私、プロレスの味方です 』以来30数年読み続けている作家です。著者の久々のプロレス本、懐かしく読みました。面白くなくはないですが、村松友視も年を取り過ぎたかなぁといった感じです。アリVS猪木戦は、関心はありましたが、結局観なかったことを想い出しました。
2017/12/14
ぐうぐう
歴史は変わることがない。そこには、歴史だけが持つ重みが存在している。しかし、歴史の評価は、ときに覆ることがある。世紀の凡戦と言われた、1976年のモハメド・アリ対アントニオ猪木による格闘技世界一決定戦。どのメディアからも凡戦の烙印を押されたこの一戦を、41年の歳月を経て、村松友視は再検証し、評価を覆そうと試みる。とはいえ、この試みは、とてもパーソナルな動機に基づいている。『私、プロレスの味方です』でデビューした村松であったが、アリ対猪木戦を作家として真正面から対峙することを避けてきた。(つづく)
2017/12/28
Akihiro Nishio
コンゴ人にキンシャサでのアリと猪木の闘いについて聞いたのだか、本書でキンシャサで闘ったのはフォアマンであったことを知る。プロレスというコップの中での闘いから世間を巻き込むスキャンダルへと格上げを狙う猪木と、多分にプロレス的感性を持つ希代のボクサーが出合い、殆ど不可能なマッチメークをやり遂げ、リングの中でお互いの想像力を駆使して闘ったことを知る。リングでの闘いにそれ以上の意味を与えてカリスマになった二人には理解しあえるものがあり、その後の親交に繋がった。賠償三津子が猪木を外の世界へと導いたという指摘も面白い
2018/10/28
中田俊輔
アントニオ猪木とアリとの戦いに凄く興味があって結果的にはモヤモヤした試合なんですけど裏にはデモンストレーションとしてのアリと真剣勝負の猪木アリは世界戦も控えていたので自分有利のルールを提示し猪木は試合をとにかく成立させたくて、その条件をのむ猪木はがんじがらめで寝てキックを放つしか方法がなくアリのグローブは物凄く薄く一発で目がダメになる可能性がありアリは疲れを待って一発を狙う作戦が疲れるどころかアリの足が猪木のキックで試合後ありは入院することになり猪木も蹴りつずけた足が骨折したり、このときの猪木はカッコイイ
2020/04/21
まさかず
猪木はプロレスの枠を超え格闘者たらんとした男。枠からはみ出た者への嘲笑・社会が内在的に持つ批判性を炙り出してきた。アリはボクシングを通して優位性を示す者。自らを貶める者に誇りを持つ姿を見せた男。「世紀の茶番劇」は両者負けられない。それを物語る雁字搦めのルール。闘いの最中に互いの背景を見たなら、15ラウンド反則行為ながら決定打のチャンスを止めた心が相手への敬意であるなら、それは相互理解そのもの。「二人にしかわからない」と表現された心とリングに立った両者に敬意を強く抱かずにいられなかった。
2020/09/23
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