一度きりの大泉の話
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「一度きりの大泉の話」のおすすめレビュー
萩尾望都による、一度きりの“レクイエム” ――出会いと別れの大泉時代
『一度きりの大泉の話』(萩尾望都/河出書房新社)
『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)は、漫画家・萩尾望都先生による回顧録である。ここには約半世紀の間明かされることのなかった、萩尾先生が九州から上京するきっかけとなった東京都練馬区南大泉にあった二軒長屋での漫画家・竹宮惠子先生との共同生活がどうして終わったのか、なぜそれ以来没交渉となってしまったのか、その詳細が書かれている。多くの作品や漫画家のこと、当時の出来事についても言及されているので、少女漫画の歴史をひもとく上で、また萩尾作品を読み解く上で役立つ重要な一冊であることは間違いない。ただ、とても辛い読書体験となることだけは先に申し上げておきたい。
なぜこのような本が書かれなくてはいけなかったのか。それは竹宮先生の回顧録『少年の名はジルベール』が2016年1月に出版され、これまでまとめて語られてこなかった大泉時代のエピソードが明らかになったことがきっかけだ。それによってにわかに萩尾先生の周囲が騒がしくなり、封印しておいたはずの当時のことを思い出してしまって体調を崩したり、執筆に影響が及んだりしてし…
2021/5/20
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一度きりの大泉の話 / 感想・レビュー
パトラッシュ
『少年の名はジルベール』では語られなかった、少女漫画界を大きく変えたレジェンドの友情と破綻のドラマ。自覚した革命家の竹宮惠子と、自覚せざる天才型の萩尾望都が同じ大泉に集った時に衝突は必然だった。理想を目指し苦闘する竹宮は、似たテーマで軽々と自分を追い抜く萩尾の才能を間近で見て盗作の疑いをかけてしまった。焦燥と嫉妬に駆られての暴走だったようだが、自己肯定感が低く繊細な性格の萩尾には50年近く封印し竹宮作品を読まなくなったほどのトラウマになったのだ。人の心の何と難しきものか。対人関係で苦労しただけに痛感する。
2021/06/21
R
エッセーとか、随筆とかではなく、文学的な深みというものはうっちゃって、本当に事実を書いたという本でした。作品とはいわない。非常に興味深い内容だし、ファンにとっては色々考えさせられるところがありそうだけども、もう、大泉という場所でのことはこれ以上語られることはないのだと、その強い意志が伝わってくる、書かれていることへの批評や批判も必要としない、きわめて一方通行な内容だと宣言しているようでもあり、このことについてすり寄ってくる輩への辟易とした感じがうかがえた。今があり、それだけなんだな。
2021/07/19
てら
ほぼ一気読み。「そのこと」へ収束していく前半の緊張感が凄まじい。『少年の名はジルベール』を読んでわずかに引っかかっていた部分が萩尾望都によって明かされる恐怖と納得。そしてモー様は天才なんだけど天才じゃない、ご両親も含めて人間関係に苦悩しながら数々の傑作を描き、そのことで自身も生き延びてきた、常在戦場のソルジャーなんだと理解した。明晰で簡潔な文体が時々乱れるのが核心の部分であり、わかりやすいのと同時に読者の精神を削る。言い方として正しいかはわかりませんが、第一級の史料です。ありがとうございます。
2021/04/24
まこみや
大泉の話は「いじめ」に他ならない。スクールカースト風に言えば、女帝NとパシリのK(逆?)が、嫉妬と排他的独占欲からMを恐喝断罪して精神的・身体的苦痛を与えた犯罪行為である。勿論、真相は萩尾側の訴告だけではわからない。竹宮側には別の弁明があるだろう。また萩尾の両親の厳格で否定的な教育観のせいで萩尾自身にもそうした刷り込みが起こりやすい体質があったとも言える。二人の秀逸な漫画家の若き日の切磋琢磨をいじめの構図で解釈することは余りに通俗的、表層的と言われるかもしれない。その批判は尤もだが、この印象は揺らがない。
2022/10/09
akihiko810/アカウント移行中
竹宮恵子『少年の名はジルベール』を読んでから、 ずっと気になっていた 萩尾望都側 の大泉の話。「大泉サロン」で共同生活をしながら、「少女漫画革命」を起こそうとしていた竹宮・増山と、天才萩尾。そんな大泉サロンの内側と、絶縁に至るまで。印象度A+ 読みたくて仕方なかった本書。図書館で借りたのだが、重い話だと思って手に取るのが遅れて、1度延長してしまった。 「ジルベール」ではぼかされていた、竹宮が萩尾に「ポーの一族は私の盗作」と詰め寄る場面は息をのんだ。 萩尾が考察してるように、(続く
2022/09/30
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