KADOKAWA Group

Facebook Twitter LINE はてブ Instagram Pinterest

千のプラトー: 資本主義と分裂症

千のプラトー: 資本主義と分裂症

千のプラトー: 資本主義と分裂症

作家
ジル・ドゥルーズ
フェリックス・ガタリ
宇野邦一
出版社
河出書房新社
発売日
1994-09-01
ISBN
9784309241517
amazonで購入する

千のプラトー: 資本主義と分裂症 / 感想・レビュー

powerd by 読書メーター

ドン•マルロー

衒学的であること。何でもそうだが「何々的」であることを極める、あるいは突き抜けるとそれは「何々的」な状態から他の名前で呼ぶべきある状態に否応なしに変化する。そういった意味でこれは衒学的な本では無い。ガタリとドゥルーズが唱えた「器官なき身体」の概念よろしく、それぞれの章は本としての統一体を形成する部分ではなく、驚くほどに独立し、多様な組み合わせの可能性をはらんだもっと他の何かとなっている。唱えられる概念と、それを表現するための符合としての言葉がこれほどにマッチしている本が他にあるだろうか。読書の快楽。

2019/03/24

袖崎いたる

びっくりするほど面白いな!ひたすらプラトー!抽象機械やらリゾームやらを複写ではなく地図として現実もしくは言語感覚に書き込んでくれる。一つの本が次に読まれる本をその続篇として措定しながらも、しかしその都度完結して絶頂するようなプラトーであるような。あるいは領土化とは脱領土化への予期を孕むような契機として。――とりわけ震撼させられたのは、あなたのうちに王を目覚めさせないこと、だ。ぼくはこの王を立ち上げること、あるいは生かすことについて常々悩んでいたものだから、王に縋らない在り方を提示してくれたのはファルコン。

2017/02/26

イボンヌ

最後のページまでめくることしか出来ませんでした。リゾームや脱領土化なとがキーワードでしょうか。いやはや

2017/05/17

はすのこ

現実世界に対する試論かつ「詩」論かつ、知的遊戯の...つまり、「ぼくのかんがえたさいこうのほん」的な印象を受ける。面白いです。

2016/08/30

NASUCUBE

大学に入りたての生協で、哲学というのが何をするのかわからなかったけど、大学生になったし哲学ぐらい読むかとおもってその棚に行った。当時は小学生並みの感性で、「哲学も新しいほうが進化していて強い」と思っていた。1981年というのは合格点だった。無作為に開いたページで、男の子が、女の子にもペニスがついていると主張していた。「女の子もおしっこをするもん」みたいなことを言ってた。ドゥルーズとガタリが、この男の子はスピノザ主義者であるとか論じていた。それで購入しました。今も新しいほうが強いと思っている。

2015/01/04

感想・レビューをもっと見る