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後悔と自責の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)

後悔と自責の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)

後悔と自責の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)

作家
中島義道
出版社
河出書房新社
発売日
2006-04-19
ISBN
9784309243757
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後悔と自責の哲学 (シリーズ・道徳の系譜) / 感想・レビュー

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テツ

久々に中島義道を読みました。後悔と自責の違い。そのメカニズム。自分自身の選択を、歩んだ道を後悔する必要はない。後悔は過去に別の選択ができたと勘違いしてしまう偽りの自由であり徹頭徹尾己の甘い苦しみのための自慰行為でしかない。ただ自分の関わっていない他者が背負った重荷を目の当たりにしたときに「何故私ではなく彼があの重荷を引き受けてくれたのだろう」と自責の念で苦しむことは忘れずにいたい。自分が不自由なく生きていることの後ろめたさに、その苦しみに押し潰されろ。

2019/01/04

amanon

タイトルからして、まさに著者がいかに後悔に塗れた人生を送ってきたかを綴ったエッセイだと思ったのだけれど、実は結構硬質な哲学書だった(苦笑)。正直、少なからず未消化な箇所もあったが、概ね興味深く読めたか。ただ、偶然についての考察にはちょっと突っ込みたくなったが。それと、いかにも世を拗ねたようなスタンスを取りながらも、「この人やっぱりいい人かも?」という印象は拭えず(苦笑)。後、気になったのが「ですます」調と「である」調の文体を併用しているところ。著者が考えなしにそのようなことをするわけはないと思うが…

2021/11/08

ほしの

「なんで、私ではなくこの人が」という問い(妬みではない)、この問いにこだわり続けること。著者が見た空港での盲目の母親とその子供の話に打たれる。

2017/08/02

エンピツ地獄

一回限りの出来事Aなら後悔しようがないが、言語に抽象化された同一のものBとして反復が可能になれば、後悔するの当たり前。でも死の欲動だのの飛び道具なしに、選択の自由が遡及的に過去から見出されたものでしかなく、この偽りの自由が後悔を再生産することを、優しく諭してくれる。Bに相当する永劫回帰の側にいながら、本来的なAを生きることであるニーチェの不可能な「運命愛」が、Bの側で「よりによってなぜ私が」といった不毛な問いを問う私たちの裏から接近!という卓見。このAとBとの二重の接点に、俺のような報われぬ他者が。

2015/08/23

ががが

別の本で、したことが避けがたいのであれば後悔などするはずがない、みたいな旨のことが書いてあって、それ以来後悔というのは、なんとなく「自由」と密接に関係していることを予感していた。「そうしないこともできた」という強い確信から後悔は生ずる、たとえ現実的に避けて通ることが難しくても「あんなことしなければ」と苦悩する。我々が普段使う「偶然」や「運命」といった言葉も分析しながら、後悔と自責について哲学的にそのメカニズムを探っていく。著者が具体的な事例を挙げて行くので高度な観念を導入されても分かりやすかった。

2014/08/18

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