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カネと暴力の系譜学 (シリーズ・道徳の系譜)

カネと暴力の系譜学 (シリーズ・道徳の系譜)

カネと暴力の系譜学 (シリーズ・道徳の系譜)

作家
萱野稔人
出版社
河出書房新社
発売日
2006-11-16
ISBN
9784309243955
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カネと暴力の系譜学 (シリーズ・道徳の系譜) / 感想・レビュー

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うえ

「フーコーによれば、資本主義がまだ社会に浸透していなかったフランス革命以前、人びとにはそれぞれの身分に応じた違法行為が黙認されていた。…違法行為が黙認されていたのは、それが人びとの生活にとって不可欠な条件をなしていたからである。生活のために不可欠だった、ということは、つまりその違法行為がひろい意味で<富への権利>をなしていたということ…黙認された違法行為がそれぞれの身分によって異なっていたのは、富への権利が身分と一体になっていたからだ。それぞれの社会階層によって富へのアクセスの仕方が異なっていたのである」

2020/07/14

Yasomi Mori

8年ぶり再読。国家は物理的な暴力の格差を背景に、社会内の暴力を独占し、自らの暴力のみを合法化することにより成立する。資本はカネをもとにした生産関係によって成立するが、そのカネの力は「カネさえあれば、あらゆる商品を買うことができる」という媒介力に支えられている。前者を〈暴力への権利〉、後者を〈富への権利〉と呼び、この2つの権利が「人びとから労働の成果を吸いあげる」ことを可能にする。国家とヤクザ組織は物理的な暴力を背景に支配と保護を与える点で変わらないが、国家のみが自らの暴力を合法なものとして正当化できる。

2021/07/19

白義

カネと暴力、この二つから法や国家がいかに生まれ動くかを説いた、入門書的な本。カネよりも、さらにその根本である暴力論がメインで、国家とヤクザの対比から国家の本質を語り、またヤクザから抜けた国家がヤクザをいかに利用するか、その権力のネットワークをさらに深めて描いている。カネは後半、国家の暴力による富の占有とその権限の変容から資本主義誕生を説いていて、短いけどやっぱり本質的。相変わらず挑発的なまでに冷徹だけど、どこかアウトロー系の本っぽい魅力もあって萱野本のなかでは少し雰囲気が違う。やはり必読

2011/11/03

ソウ

非常に面白かったです、もっと早くに読んでおけばよかった。非行者に法の外の領域をやらせる必然性について、論理の飛躍を感じました(確かに現実はそうなのかもしれんけど)。現在、従来「国家」が独占していた物理的暴力への権利をも「資本」が支配しつつあるように感じるのは私だけでしょうか?私は、寅さんが言うところの「ロードーシャ諸君」の一人でして、こういう構造の世の中で、暴力から身を躱して穏やかにスルリスルリと生き伸びたいと思ったわけですよ。

2019/03/22

ほしの

国家のみが暴力を合法的に行使できるところから、国家とヤクザの類似性、ある種の共犯関係から、民間企業へ暴力をアウトソーシングする現在など興味深かった。いい加減フーコーにアプローチしないとと思う。所有という観点から国家と資本主義の発生の順序をマルクス主義とは逆の国家→資本への流れ。あんまりその発生の機序はよくわからなかった、やはりマルクスもかじってみておかないとなのかなぁ。フーコーかじってもう一度読むの有り⁈なんにせよ国家や資本によるピンハネはピンハネを制度化しながら実行される。税が貨幣を生んだという見方

2017/07/22

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