千のプラトー 下---資本主義と分裂症 (河出文庫)
千のプラトー 下---資本主義と分裂症 (河出文庫) / 感想・レビュー
壱萬弐仟縁
戦争は一つの社会状態が、国家を退け様相であると結論すべきではない(25頁)。遊牧民とはむしろ動かない者である(傍点)、ということを示唆したトインビーは実に正しかった(71頁)。自由活動において重要なのは、いかに物体を構成する諸要素が重力から脱出して、点をもたない空間を絶対的に占拠するか(102頁)。いかにして国家は戦争機械を自分の物にするか、いかにして国家自身の尺度と支配と目的に合わせて戦争機械を構成するのか? いかなる危険をおかしてか?(141頁)
2021/06/11
34
自然から生命が創発し、生命から言語が、言語から文化が創発する。問題となっているのは、しかし、このような進展のプロセスを説明することではない。問題となっているのは、逆行のプロセスを見出すことである。しかし逆行のプロセスそれ自体はつねに起源的な捕縛のシステムとともにあるし、資本主義のシステムのなかでは、二つのベクトルは区別しがたい域を構成している。われわれが生きているような社会のなかでは、どうしたらマイノリティへの生成変化をマジョリティへの生成変化から実践上区別できるのか、まったく定かではないようにおもえる。
2018/06/20
wadaya
遊牧民は自分の領土を持ち、習慣化した行程を通って一点から他の点へと移動する。それは定住民のように区画された中を移動するのではなく、どこまでも続く平滑空間を移動するのであって、遊牧民はその空間に自らを配分し、空間に住み、その空間を領土化する。遊牧民にとって全ての地点は中継点であり、中継点しか存在しない。動き続けるがそれは決して無秩序なものではなく、動き続けることが存在としてのプロセスである。それはまさしく変化し続ける民。つまり領土化し、脱領土化され、再領土化というプロセスを絶えず続けるのである。それを→
2021/02/13
koke
下巻は戦争機械/国家装置の関係をひたすら論じている。そして資本主義がここで初めて明確に主題となる。後は中学レベルの歴史と、マルクスの「本源的蓄積」の知識だけあれば読み通せる。ヘーゲル・マルクス的な段階的発展という発想に頼らずに、戦争や都市や資本主義の発生を一息に説明する圧巻の歴史哲学だ。発生にこだわる「ドゥルーズの哲学原理」がここに極まっている。
2022/04/27
なっぢ@断捨離実行中
間が空きすぎたのでどうやら総評は書けそうにもない。ただひたすらに骨が折れた、としか言いようがない読後感だった。もっとも、理解よりも使用をすすめるドゥルーズ・ガタリの立場からすれば無理に通読するよりも好きな時に好きな箇所から読むのが正しい読み方だろうし、リフレインを多用した記述を用いてるところからもそうしたユーザビリティを重視してるのはよくわかる。まだ印刷技術が乏しかった頃の諸宗教の経典のように、歌うように読めばいいんじゃなかろうか。人前で音読したらただのキチガイにしか見えんだろうからお口は閉じるべきだが。
2017/01/17
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