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マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

作家
バタイユ
中条省平
出版社
光文社
発売日
2006-09-07
ISBN
9784334751043
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マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫) / 感想・レビュー

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takaichiro

芸術、哲学、エロティシズム、グロテスクがまぜこぜになり前衛化するバタイユ。「目玉の話」は変態趣味がない私には殆ど何が書いてあるか表面的にうまく読み取れない。人間の奥底に眠る最も神に近い領域の表出を哲学的に表現する天才作家の力量に圧倒される。「エロティシズムとは、死に至るまでの生の称揚である」この定義をベースに描かれる彼の作品は、巷に溢れるかSM官能小説とは一線を画す。エロとは死を内在するもの。三島由紀夫や村上春樹の作品にも偶に顔をだすバタイユ。読書の旅を続けていれば、またどこかでお会いすることでしょう。

2020/02/06

harass

目玉の話のみ再読。現実で非常に滅入っていて、ここまで激烈でないと読んだ気になれなかった。文学の力、猛毒を実感。「二人でちょっとしたドライブに出かけた日のことを思いだします。私は車で、自転車に乗った若くてきれいな娘を轢いてしまい、娘の首は車のタイヤでほとんどちぎれてしまったのです。私とシモーヌは長いこと死んだ娘を眺めていました。ばらばらになった体は、吐き気を催しそうな肉と、優美な部分に分かれ、そこから恐怖と絶望が立ちのぼり、それは私とシモーヌが会うたびに感じる気持ちによく似ていました。」とんでもないポルノ。

2019/08/20

ケイ

『マダムエドワルダ』彼女だけが娼館の中で怪しく光り輝いているイメージが浮かぶ。凡庸だが、掃き溜めに鶴のよう。でも、哀しい狂った鶴で、主人公は彼女を選んだようで選ばれたことに興奮しているのだろうか。『目玉の話』少し前に読んだ生田耕作氏訳のものの方がしっくりくる気がする。前回は楕円の球体に取り憑かれたシモーヌや梅毒病みの父親の話との関連が印象的だったが、今回はシモーヌと主人公が本当に性交するために、なぜマルセルが必要だったのかに気を惹かれた。

2014/01/22

Y

登場人物の飽くることなきエロティシズムへの冒険心には、ここまでくると悪趣味だとしか思えなかったが、その反面どこまでいけるのだろうかと好奇心をくすぐられた。エロティシズムは快楽そのものを得ようとすること以上に、「こんなことをしたら相手がどんな顔をするのか知りたい」等の知的好奇心によって成り立つものでもあるのかなと思った。いやそれにしてもすごいものを見た…!という感想が真っ先に頭に浮かぶ小説である。

2014/04/29

Mina

「あたしは神なのよ…」欲望のまま 獣のように 男も女も極限のエロティシズムを求める。そしてエロティシズムは死に通じ神を見せる。生、逝、性、聖のバトルロイヤルを目の当たりにし、気分は血の滴るレアのステーキをお腹一杯食べたかのよう。あ、目玉焼きも添えて…。暫くおかわりはいいかな。

2015/01/22

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