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ひとはなぜ服を着るのか (ちくま文庫 わ 8-3)

ひとはなぜ服を着るのか (ちくま文庫 わ 8-3)

ひとはなぜ服を着るのか (ちくま文庫 わ 8-3)

作家
鷲田清一
出版社
筑摩書房
発売日
2012-10-10
ISBN
9784480429902
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ひとはなぜ服を着るのか (ちくま文庫 わ 8-3) / 感想・レビュー

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はるき

 好きか嫌いかの二者択一で服を選んでいるつもりです。でも、内心は違うのかもしれません。社会性を獲得するにつれ自意識が凝り固まる。日本ブランドを中心にした服飾史が興味深い。

2020/04/17

Ecriture

社会学や経済学に寄りがちなファッション論を哲学に開いた鷲田清一の功績は大きい。存在の<像>を着替える試みとして衣服や化粧やピアシングなどの身体の変形を論じる。三宅一生論では「真四角、まんまる、逆ハート型、半月型、円柱」のフォルムの服に言及している。しかし、鷲田・三宅(あるいはコム・デ・ギャルソン)の「格闘」や「野性」はあくまでも人の身体という定規に縛られたがゆえの「反抗」であり、アンリアレイジのように「かたち」から新しい衣服を作って現実を「拡張」する試みとは異なるという工藤雅人の整理は妥当に思える。

2016/09/18

Yuririn_Monroe

卒論参考文献。モードの特性と変容について哲学的な視点で分かりやすく書いてある。モードは日常と切っても切れない場所に溶け込む。そのくらい身近になりつつある。ポストモダンの80年代の清潔主義からモードを無視する傾向が美徳となった古着を愛好した90年代。アンチモード派のデザイナーたちの求めていた美は西洋に確実に衝撃を与えた。

2015/10/11

吉野ヶ里

服は自分自身の外部と内部の境目であり、自分でありながら変容することが出来る。見られる自分を意識するとき自分という像が生まれるが、その像はつねに「自分」を超えていこうとする。流行はどんなものも取り込んでしまう。流行へのメタもまた一種の流行になる。ファッションはズレとして、形式と距離を取る。形式から外れるという、形式との関係。 微細なズレのポイントを押さえること。アイデンティティは境目にある。

2016/05/17

Sunlight

モードはモードに逆らい、新たなモードも同じ運命をたどる。モードはファッションだけでなく文化、芸術、思想、すべての分野に現れる。相対的矛盾をはらんだモードをそれでも人間は捨てることが出来ない。人間はモードから逃れることは出来ない。

2017/04/09

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