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ジェロ-ム神父 (ホラー・ドラコニア 少女小説集成 1)

ジェロ-ム神父 (ホラー・ドラコニア 少女小説集成 1)

ジェロ-ム神父 (ホラー・ドラコニア 少女小説集成 1)

作家
マルキ・ド・サド
会田誠
Donatien Alphonse Francois de Sade
渋沢 龍彦
出版社
平凡社
発売日
2003-09-01
ISBN
9784582831733
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ジェロ-ム神父 (ホラー・ドラコニア 少女小説集成 1) / 感想・レビュー

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yn1951jp

快楽の哲学者サドと「食用人造少女・美味ちゃん」の会田の「位相のずれ」。そして暗黒・異端文学の伝道師澁澤の「異常と正常」が言い訳のように聞こえる。それぞれが素晴らしい一皿なのだが、なんだか取り合わせを間違えて注文してしまったようで、後味がよくない。「エロティシズムは個人的なもので、主観的なものであろう」と澁澤が言っているが、このメニューでは、私はエロティシズムを感じることができなかった。澁澤が生きていればできなかった本だろう。会田を知らなかった私にとっては、会田の魅力を少し理解できたのだが。

2015/02/08

skellig@topsy-turvy

サドの「美徳の不幸」からの抜粋+澁澤氏の「エロティシズム」からの「正常と異常」に関するエッセイ。挿絵は会田誠さんのもので、付属の月報による山下裕二氏の解説がすとんと腑に落ちる。曰く、少女メタファーで通底しつつも明らかにズレている澁澤と会田コラボを楽しもう。食用少女美味ちゃんのシリーズがメインで、結構挿絵が多い。あっけらかんとした彼女たちは、作中の苦痛と断末魔が御供の被害者たちとは違うので違和感はあるけど、ひたすら消費される存在としては共通するものがあるのだろうか。

2013/12/26

主人公が己の、身体という名の国家で、精神という名の法律を振りかざしたくり淫蕩生活に耽るという点ではガブリエルヴィトコップ「ネクロフィリア」と根底は同じな気もする。ただ、屈強⇔弱小国という完璧な違いはあるが。SMにおけるMは苦痛を快楽に変えるプロセスありきで成立すると思っているので、会田誠挿絵の完全に思考放棄の快を表現してるような女の子には違和感を感じた。けど後半になるにつれ馴染んできたので不思議。何故だか脳内BGMは「BORN TO BE WILD」であった。

2013/10/29

駄目男

「真の幸せを得たいのなら、自分の快楽だけを考えていれば良い。いったい他人を思いやることに、どれほどの価値があるというのだろう? 道徳なんてものはさっさと捨てて、悪に染まることを恐れず大っぴらに生きた方が、人間幸福になれるのだ」主人公の言い分で、そのままサドの考えになるのか、少女を誘拐し、拷問、毒を飲ませて陵辱、目の前で婚約者を殺害、その心臓を食わせる。悪を悪と思わず、開き直って生きればこれほど楽しいことはないということか。然しながらレイプ、凌辱というのは読んでいて、あまり気分のいいものではない。

2020/05/18

そのじつ

表題作のほか「正常と異常」という澁澤のエッセイをセレクトして後書きがわりに据えてある。こんにちでは、多様な嗜好が公の場で表明され、あるいは趣味的に、あるいは商業的に、社会に世界に広く頒布している。それを否定するつもりはないが、エロティシズム=芸術至上主義みたいなものには反射的に反発を覚える。澁澤の言葉を自分が編集した本の後記に持って来た高丘卓へ文句を言いたい。フェミニズムとかじゃなく、ポルノグラフィーの中の女の痛みを自分と他人に分けられへんだけなんや。男の快楽を女の身体では受け止められへんだけなんや。と。

2014/08/02

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