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たとえば、世界が無数にあるとして

たとえば、世界が無数にあるとして

たとえば、世界が無数にあるとして

作家
生田紗代
出版社
扶桑社
発売日
2007-12-11
ISBN
9784594055370
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たとえば、世界が無数にあるとして / 感想・レビュー

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さおり

図書館本。生田紗代さん、初読みです。4つのお話が入っていて、それぞれのお話の主人公は高校時代の部活仲間。とはいえ、帰宅部な人が強制的に入れられる部活なため、仲間意識もないし、会話は敬語だし。そんな高校時代の鬱々とした日々と、これまたうまくいってるとも言えない今とが、行ったり来たりしつつお話が進みます。高校時代の描写が、思い出という感じではなくて、これもまた今、って感じの描かれ方で、それがこのタイトルに繋がっているのかな。多重世界解釈ってやつ?今の私の気持ちにぴったりな本でした。

2017/10/15

keith

硬い鎧を身に纏った高校帰宅部の四人組。その窮屈な鎧を脱ぎ去りたいものの、無防備な姿を晒すことにも躊躇する。それは素の自分が一体何者なのか自分自身にも分かっていないからだろうか。読む前はエンタメかと思ってましたがブンガクでした。

2016/10/25

しょこら★

うー、イタい。重松さんの帯に共感して手にとったけど、これは、わたしだ。かの子も、堀田も、せりも伊能も、確実に、わたしの中にいた(いる)子たち。息苦しくて生きづらくて、世界は敵で、見下すもの。馬鹿な教師、馬鹿な同級生…違うのはだれ? こんなどす黒い気持ち、保存してたまるか。自分はまだ、柔らかくて、綺麗なはず。わたしの居るべき場所、居てもいい場所、たくさんの選択や気持ちを繰り返す場所、ハビタブル・ゾーン。ハビタブル・ゾーン。

2012/12/30

波多野七月

もう会うはずもない〈誰か〉のことが、ふいに浮かぶことがある。それはかつての同級生だったり、クラスメイトだったり。もう会うこともない、それどころかきっと相手はこちらの存在すら覚えていない。それなのにどうして、こんなふうに突然彼らや彼女の姿が浮かぶんだろう。この物語を読みながら、ふとそんなことを考えた。誰かと誰かの人生は、かすかな苦さや痛みと共につながっていく。逃げ場のない苦しみを抱えたままに、それでも私達は生きていく。ほの暗く、湿った感覚を呼び起こす連作短編集。

2017/02/23

しなもん

母が図書館で借りていて、表紙とタイトルに惹かれて読んでみました。favorite sentences…* *「選択に直面するたびに宇宙が分裂するなら、今この瞬間の自分も分裂してるんです。ううん、すでに今の自分は、何十回、何百回って分裂を繰り返してきた存在で、ここにいるのは、私という人間の、ほんの一片なんです。つまり、割れたガラスの細かい破片の一つにすぎない」 *「たとえどんなことでも、『たかが』で割り切れることなんてないっすよ」

2014/09/15

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