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絶望という抵抗

絶望という抵抗

絶望という抵抗

作家
辺見庸
佐高信
出版社
金曜日
発売日
2014-12-08
ISBN
9784906605996
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絶望という抵抗 / 感想・レビュー

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姉勤

下品とは、自分の姿をわきまえず他者を下劣と見下すことだろう。自らを良心的知識人と称し、 意見を異とする他者を罵倒する。彼らは若き頃、著した意思によって、評価と賛同を得て現在も文筆で食っているのだろうが、今の様に、知らないものを伝聞と仄聞で評し、断定する事で自らの地位を得たか、今一度自省してみるが良い。しかし、それができぬから老いであり、古来より「老害」と称される。まとめの、笑いが失われたとされる、今の世の中で、あなた方の姿で笑いましたよ。ただ、決して「嘲い」ではないです。

2019/07/10

壱萬弐仟縁

佐高氏: 特定秘密保護法に反対する際、名前を挙げたのは田原総一郎氏と鳥越俊太郎氏。挙げなかったのは古舘伊知郎、後藤謙次、池上彰の各氏(120頁)。 辺見氏: 石橋湛山は大したものですね。湛山には人間にたいする敬意があった。 佐高氏: 湛山全集に、竹内好氏が「我が石橋発見」を寄稿、湛山は中国の抵抗運動の意味を理解した日本人。また、経済は 数字ではなく哲学だということ(142頁)。

2015/04/30

ごまめ

タイトルに惹かれて読んだが、期待しすぎたせいか少々拍子抜けした感が否めない。この本を手に取るほとんどの人間は既に現状に疲弊している者だろうし、そうでない人は(要するに「希望」を持つ人は)おそらくこれを読んだからと言って対置的に世界を見つめなおしたりはしないだろう。最もこの対談からは読者を啓蒙しようという意図もあまり感じられない。辺見氏の論調には時折イラッとさせられるが、日本の弱みは「個」が成熟していないことという指摘は頷けた。

2014/12/15

ophiuchi

辺見庸の名前を聞かなくなったのはマスコミの自主規制がその理由だったことが明らかにされている。他にも同様な扱いを受けている人が思い浮かぶし、この中で批判されている姜尚中のように微妙に立ち位置をシフトして生き残っている人も少なくないように思う。ISILによる日本人殺害事件を受けて言論統制はさらに進んでいる。今年は安倍内閣が意図するように、70年に及んだ「戦後」が完全に終わり「戦前」の始まりの年として記憶されることになるのだろうか?

2015/02/11

フム

辺見庸、佐高信の対談。3章までは雑誌『週刊金曜日』に掲載されたもの。戦後民主主義と知識人、マスコミに対する痛烈な批判。雑誌で読んだ時にもその激しさに息を飲んだ。辺見庸自身も「自分で匕首を自分の喉元につきつけて話すくらいの覚悟」と語っている。現状認識はそれほどまでに差し迫った、進行中の第三次大戦のただ中と。かたくなに希望を見いだすことを拒絶するまなざし。最近氏のブログで国会前のデモに激しい苛立ちをぶつけていたことを思い出した。これほどの絶望が今の社会には必要なのか、その答えは年月を経てからしかわからない。

2015/11/09

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