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第三回 喩としての内包的な親族 (連続討議「歩く浄土」)

第三回 喩としての内包的な親族 (連続討議「歩く浄土」)

第三回 喩としての内包的な親族 (連続討議「歩く浄土」)

作家
森崎 茂
片山恭一
出版社
アスペクト
発売日
2016-05-09
ISBN
9784908068140
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あらすじ

小説家・片山恭一氏と思想家・森崎茂氏との緊急討議シリーズ第2弾『歩く浄土』第3回のテーマは「喩としての内包的な親族」。今回は、昨年話題になったSEALDsの活動と民主主義について、また、第2回に続いて片山恭一氏のベストセラー作『世界の中心で、愛をさけぶ』のアキと朔太郎の言葉のやり取りを巡る考察、エミネムやマリリン・マンソン、ゲスの極み乙女……などなど、またもや天地左右に話が飛びつつも、軸足をしっかりと地につけたうえでお二人の討議が展開されています。

「このシステムが完全に機能不全に陥っている。いちばん大きな要因は、欧米や日本などの先進諸国で経済成長が止まり、富を社会全体に配分できなくなったということでしょう。
また経済のグローバル化によって、国家の枠を超えて競争が激化した結果、一パーセントと九十九パーセントというような非常に大きな富の偏在、極端な格差が生まれている、ということもあると思います。こうした状況の変化によって、多くの国々で民主主義というシステムが機能しなくなっている」
「だってアスリートとして上へ上がれる人はごく一部でしょう。世界の富の偏在や格差を問題にする際に、ぼくらはよく一パー
セントと九十九パーセントという言い方をするけれど、プロのアスリートや芸能人の世界はとっくにそうなっているわけじゃないですか」(本書より)

【目次】
(1)現象としてのSEALDs
(2)民主主義の、その先へ
(3)「何をやっても間に合わない」
(4)人類の総アスリート化
(5)いつも一緒にいる
(6)家族がつづいていくということ