日本のことはぜーんぶマンガが教えてくれた! とんかつ×DJ=アゲアゲ!【第5回『とんかつDJアゲ太郎』小山ゆうじろう、原案:イーピャオ】

マンガ

公開日:2018/9/1

和樂10月号の特集は「若冲とフェルメール 美の三原色」。こんな特集見たことない!はず!!

■「若冲(じゃくちゅう)VSフェルメール、美の三原色」は究極の異種格闘技戦!

 1976年6月、ある伝説的な格闘技の闘いが行われました。(あ、すみません! ここからしばらく和樂の見どころ紹介の流用が続きます。だって同じ話を書き分けるほど文才がないんですもの!)それは「プロレス最強論」を唱え、「いつ何時だれとでも闘う」と公言していたプロレスラー、アントニオ猪木と、当時、WBAとWBCヘビー級の統一チャンピオンとして世界最強の男の名をほしいままにしていたプロボクサーのモハメド・アリが闘うという一戦。ボクシングのヘビー級世界チャンピオンといえば、世界中で知らない者は誰もいないほどの地位と名声を誇る存在。その人物に、日本では人気を博していたといえ、東洋の一介のプロレスラーが挑むなどと言う話は、あまりに奇想天外すぎてどうやって思いついて、開催まで辿り着いたのか想像すらつきません。しかし、それをやってしまうのがアントニオ猪木という漢(おとこ)の真価なのです。

いったいこの話はどこで特集と結びつくのでしょう?不安です。

■いつか異種格闘技戦をプロモートする!と誓った日

 試合は、ほとんどの時間を猪木がマットに背を付けて寝転がり、そこからアリの足をねらう、いわゆるアリキックを繰り出すという展開に終始し、観客は暴動寸前まで怒り狂い、リングにめがけて物が投げ入れられました。試合後は世紀の凡戦などと評されましたが、猪木のキックによってアリの足はぱんぱんに腫れ上がり、そのことによって引退時期を数年早められたとも伝えられています。また、15ラウンド寝転がりながらひたすらアリの足をねらい続けるという猪木の戦法は極度に体力を消費するものであり、猪木の足もまたしばらく使い物になりませんでした。つまり、ふたりはルールの整備もままならない50年近く前に、ボクシング対プロレスという誰もが見たかった真剣勝負を繰り広げたのです。そのことはその後、アリが死を迎える最期まで友情を育んだ2人の姿が証明しているでしょう。

 幼心にこの一戦を心に刻みつけた私は、異常なほどに異種格闘技戦に惹かれるようになりました。なんか、ありえないものとありえないものを闘わせたときに生まれる力ってものすごーく大きいと思いませんか。しかも、異種格闘技っていうネーミングがたまらないですよね。当時の男たちは子どもがカブトムシに夢中になるくらい、猪木が唱える異種格闘技戦に夢中になったものです。その時私は心に誓ったのです。いつか自分でも異種格闘技戦をプロモートするのだと。

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ようやく特集の話になりますよ!

■時はきたー!(by橋本真也)

 それから時が経つこと40年、ついにその時がやってきました。それが今回の大特集「若冲とフェルメール、美の三原色」なのです。(ああ、また今号も前振りがこんなに長くなってしまいました)

 江戸時代の京都に生まれ、動植綵絵(どうしょくさいえ)や鳥獣花木図屛風(ちょうじゅうかぼくずびょうぶ)など、サイケデリックとも言える構図を超絶技巧で描いた伊藤若冲は、今や日本美術界のスーパースター的存在。一方17世紀オランダ絵画黄金時代を代表する画家であるヨハネス・フェルメールは世界的知名度を誇りながら今なお多くの謎に彩られている孤高の存在。このふたりの闘いほど和樂にとっての異種格闘技戦にふさわしい一戦があるでしょうか。オランダ絵画対江戸時代絵画、天才対決。あー、なんかわくわくしますね。しかし、異種格闘技戦でもっとも大事なこと、それはルールの整備です。アントニオ猪木とモハメド・アリの一戦は、最後までルールでもめ、それがあのような試合内容を生んだとも言われています。そこで、和樂が今回注目したのは「色」。しかもふたりがともに重要視する「白」「黒」「青」を美の三原色とし、それぞれの色で対決したのです。(流用はこちらまで! 以下ダ・ヴィンチニュースオリジナルです。編集部のみなさんごめんなさい)

とんかつDJアゲ太郎』。1巻はタイトルだけで買ってしまいました。

■とんかつもDJもアゲるのは同じ!

『和樂』10月号は色を切り口に若冲とフェルメールというまったく共通項がないように見えるふたりの天才画家を同じリングに上げました。それと同じことを漫画で成しえている作品、それが『とんかつDJアゲ太郎』です。

 主人公の勝又揚太郎(かつまたあげたろう)は渋谷に店をかまえるとんかつ屋「しぶかつ」の三代目を継ぐべく父・揚作のもとで修行中です。いまいちやる気が出ず、毎日をだらだらと過ごしていた揚太郎はある日渋谷のクラブに出前を届け、そのことがきっかけでクラブカルチャーにはまり、修行をサボってクラブ通いの日々を送ります。ある日のこといつもと同じように揚太郎がクラブに行くと、そこに伝説のDJが現れプレイをはじめました。すると不思議なことに伝説のDJがとんかつを揚げる父の姿とかぶって見えたのです。

 キャベツの千切りを切るリズムとBPM(曲のテンポ)、クラブのフライヤーととんかつを揚げるフライヤー、皿(レコード)と皿(とんかつ)! そしてついに気づくのです! 豚をアゲるか、客をアゲるかに大した違いはない。重要なことはグルーブだということに。ここに世界ではじめてとんかつとDJで世界を獲らんとする男、とんかつDJが誕生しました。

 いやー、きたーって感じですね。「アゲる」を共通項としてとんかつとDJをくっつけちゃいましたよ。最高の自家撞着(じかどうちゃく)ぶりですね。私も見習いたい豪腕です。え? ちょっと編集長コラムのタイトル「日本のことはぜーんぶ漫画が教えてくれた!」にそぐわない? ですって。何をおっしゃりますか!

 とんかつとは日本食レストラン海外普及推進機構によると「豚のヒレ肉やロース肉に小麦粉、鶏卵、パン粉などの衣をつけ、天ぷらのように160~180℃の油の中で泳がすように揚げたフライ料理です。1930年頃、西洋から「cutlet」が日本に紹介された時は、イタリアの「ミラノ風カツレツ」やオーストリアの「ウイーン風コトレット」のようにラードやバター等の動物性の油で焼いていたが日本人の口に合わず、やがて植物性油も用い天ぷらのように揚げるようになりました。パン粉も西洋式の細かい粉末状のものを用いていたが、油を吸いやすく日本人には不評だったため、荒削りのパン粉が使用されるようになり、こうして「カツレツ」の原型が誕生しました。こうした変遷を経る間に、調理に用いた豚肉(トン=豚の意味)とcutletがなまり複合され「とんかつ」と呼ばれるようになりました」というようにもはや日本を代表する料理のひとつ。

 そして、渋谷を中心に育まれたDJ文化は世界的に見ても最高にクールとされ、クラブカルチャーの最先端として海外からも熱い視線を浴びています。これを日本の文化と言わずしてなんと言いましょうか! なんていっぱしのことを書きますが、告白すると私、たいへんに田舎者で実はクラブ恐怖症なのです。オシャレスポットに行ったり、おしゃれな人と話をすると大量にわき汗をかいてしまうほどです。しかし、『とんかつDJアゲ太郎』には「クラブカルチャー入門 教えてヤミー先生」というコーナーもあり、「DJはあそこで何をしているの?」だの、「レコードとDJの関係」だの、クラブに足を踏み入れたことがない私のようなDJ初心者にもありがたいつくりになっているのです。

 兎にも角にも『とんかつDJアゲ太郎』を読んで私も読者の皆様をアゲアゲしたい! と思う今日この頃です。

セバスチャン高木
1970年生まれ。大学卒業後2年間、ヨーロッパ、北アフリカを中心にバックパック旅行を経験。テレビの制作会社を経て小学館入社。『Domani』7年、『和樂』15年の編集を手がける。好きなもの:仏像巡り、土門 拳、喫茶店、マンガ

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