2007年09月号 『裁縫師』 小池昌代

今月のプラチナ本

更新日:2013/9/13

裁縫師

ハード : 発売元 : 角川書店
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:Amazon.co.jp
著者名:小池 昌代 価格:1,512円

※最新の価格はストアでご確認ください。

今月のプラチナ本

あまたある新刊の中から、ダ・ヴィンチ編集部が厳選に厳選を重ねた一冊をご紹介!
誰が読んでも心にひびくであろう、高クオリティ作を見つけていくこのコーナー。
さあ、ONLY ONEの“輝き”を放つ、今月のプラチナ本は?

2007年8月6日

『裁縫師』
小池昌代
角川書店 1470円

advertisement
 広大なお屋敷の離れに、ひっそりとアトリエを構えるひとりの裁縫師。彼はたいそう腕が立つということであったが、その正体は誰も知らなかった。それでも、その裁縫師とアトリエは「わたし」にとって好奇心と憧れの対象であった。
 ある日、9歳の「わたし」は、母に連れられ裁縫師のもとを訪れる。採寸され、数日後にひとりアトリエを訪れた「わたし」だったが……。
 “襟足に彼の指が触れたとき、わたしの身体のそこのほうから、今まで知る快感をずっとうわまわる、ぞくぞくとするようなふるえがおこり、——。”
 
幼女が過ごした濃密なひとときを描く表題作ほか、5編を収めた短編集。

撮影/下林彩子
イラスト/古屋あきさ
 
 

  

こいけ・まさよ●1959年、東京都生まれ。97年『永遠に来ないバス』で現代詩花椿賞、2000年『もっとも官能的な部屋』で高見順賞、01年『屋上への誘惑』で講談社エッセイ賞を受賞。詩、小説、エッセイと幅広く活躍。06年「タタド」で川端康成文学賞を受賞。


横里 隆

(本誌編集長。くどいようですが、名越先生はとーってもセクシーで素敵です。本誌連載でその一端に触れて、ぜひ、とろけてください)

魂をなでられるような
美しいエロスを堪能あれ

心のほつれを繕うことを生業とする人にエロスを感じる。例えば精神科医などはその最たるもので、実際、本誌連載の名越先生なんてたいそうエロティックだ。ほつれたものの魂に、じかに触れなければ正すことなどできないから、肌と肌を合わせる以上に官能的に感じるのは当然といえる。心のうぶ毛をやさしく撫でられるような感覚は、怖ろしくも心地よく、それとよく似た感触を、本書の表題作「裁縫師」から強く得た。裁縫師は人の型をした洋服を創り出す。それは、魂の依り代としての衣服を、着る者の心の輪郭をなぞるように繕っていく作業であり、裁縫師は精神科医や宗教家や占い師にも似て、私と他人、この世とあの世の境界を消し、心の芯までとろけさせるような存在なのだ。裁縫師に服を作られることで、魂に触れられ、身体を解放する体験は、蛹が蝶に羽化するように少女が女へと変貌する美しきイニシエーションともいえる。服を纏(まと)うことで、少女はすべてを脱ぎ捨てる。この逆説もまた美しい。寸分の隙もなく著者の美意識を表現しきった素晴らしい短編だ。


稲子美砂

(本誌副編集長。主にミステリー、エンターテインメント系を担当)

全国の干物女に

幼いころに感じた性的な発露。9歳の「わたし」のように一瞬で女になる感覚、この描写には多くの女性が「わかる」とうなずいたのではないか。自分が今までの自分でないものに変わっていく、えもいわれぬ快感、違和感……。「身体のなかに、数匹の獰猛な蜜蜂がいて、それがぶんぶんうなりだす、そんな衝動」。小池さんは言葉にされることがあまりなかった「女性」性の獰猛さを的確に美しく表現していて、文章に不思議な陶酔感がある。「野ばら」の美知子も忘れられない。親に捨てられた子どもの不幸が取り上げられることが多いなか、彼女の鋼鉄のような生活力の理由は何か。——『裁縫師』に収められた5編は文体もリズムも雰囲気も違うのに、あるところではリンクし、あるところでは共鳴している。著者の企てに感謝したくなる1冊である。


岸本亜紀
(子ども向け新シリーズ『しんみみぶくろ㈰妖怪モノノケBOX』『しんみみぶくろ㈪幽霊屋敷ノート』2冊同時発売!)

身体も心も自由であるって

野蛮なことなのだと教えてくれる

外側は穏やかで静か、だが、内面は野蛮そのもの。小池さんの小説は、繊細で上品なのに、原始的で大胆。かつての日本の中世の世界観だ。表題作の「裁縫師」の官能は美しくも残酷だ。タブーを犯すときの一瞬の破壊的エネルギーに、人生のすべての力を使ってしまい、たとえその後、狂おうが、美しい思い出の中で頑固に生き続けることができる。この短編集は、人生を憂うことなく、呪うこともない。謳歌するほど明るくもなく、淡々としているが、自分の生きる道がはっきりしていて迷いがない。こうでなければいけないという倫理から自由なのだ。本作を読んで、どの作品にも壊れた人ばかりが登場するけれど、どの人たちもとても幸せそうで、うらやましかった。


関口靖彦
(ブンゲイダ・ヴィンチでの連載をまとめた中川充さん『青空チルアウト』が8月24日発売! じんわり笑ける関西弁がクセになります)

9歳のころの、たった一日。

その記憶だけで女は生きた

表題作「裁縫師」の主人公は、ひたすらに思い出している。68歳の現在、まだ9歳だった、あの一日のことを。私も本作を読んでいる最中は、やはり“あの一日”の鮮烈さに打ちのめされた。肉が皮膚を裂いてあふれ出してきそうな、官能的な一日の描写に。だが本を閉じたあと、胸のうちに居るのは68歳の彼女だ。あの一日の鮮やかさを越えるものと出会うことなく、ただただ記憶を噛みしめて齢を重ねた女。老いた掃除婦としてモップを動かしながら、きらめくような官能を反芻している。彼女はあの一日で、時を止めたのだ。そして続く第2編「女神」でも、ある男が官能の一日を経て時を止める。「ぼくは、ここで、年老いていきます」。私は、人はたった一日の記憶だけで生きていけるのだと知った。
それがうれしいことなのか、かなしいことなのかは、まだわからない。


波多野公美
(田辺聖子さん、谷川俊太郎さんに取材。どちらも珠玉の時間でした。ぜひ記事を読んでください)

一人で生きる人々の
たんたんとした物語

収録された5つの短編は、連作ではないのに、どこか作品の温度が似ていると感じた。それは、かつて高い熱を持ったことがあるなにかが、その熱を喪って、表面はすっかり冷たくなったけれど、表面からは分からない芯のところではその熱を繰り返し思い出しているような、不思議な温度だ。表題作の「裁縫師」がもっとも印象的だった。文章がとても美しい。内容は倫理的に賛否があると思うけれど、たったひとつの美しい想い出を糧に、人は生きていけるのだろうか、と考えさせられた。5つの短編は、どれも一人で生きている人の物語でもある。それはとても自由で、たんたんとしていて、すこし哀しいと思った。


飯田久美子
(8月3日にダ・ヴィンチ文学賞大賞瀧羽麻子さん『うさぎパン』、24日に前川梓さん恋愛短編集『さよならサンドイッチ』発売です。よろしく!)

委ねられる快感

服を、脱がされるより、着せられるほうが好きだ。委ねている感じがいいんだと思う。足を抱えられておしっこをするというのもいい。お洋服を仕立ててもらう、というのもこの仲間じゃないかと思った。身動きとれなくて相手のなすがままだし、大げさに言えば針とかはさみとか生命すら脅かしかねないものに、自分をさらしているのだから。委ねることはこわいけど気持ちいい。(婦人科の診察台になると「気持ちいい」より「こわい」が勝ってしまうのが、委ねる快感の微妙なところだ。)「裁縫師」の主人公の女性が裁縫師とのあの1日に老いた今も囚われたままでいることの、幸福さと不幸さがたまりませんでした。委ねる心地よさは、去りがたく、同時に、留まりづらいから。


服部美穂
(第一特集『100万回生きたねこ』内企画「勝手にトリビュート」のメンバーは超豪華です!)

女たちは俯瞰して生きる

男が目を閉じ耽溺する間も

作家は、物語をして我々の先入観を打ち砕く。彼
が何者であれ、「裁縫師」に対した幼いわたしが紛れもなく“女”であったことも、親に捨てられた瞬間「野ばら」の少女が抱いた思いが、鋼鉄のような自由だったことも、少女をただ少女と思いたい世間は思い及ばないだろう。さらに詩人は、読者が甘いだけの幻想を抱くことを許さない。無為な日常から一瞬だけ、ふわりと浮き上がろうとした「空港」の女を現実という地面に叩き落とし、もう日常に戻れない「左腕」の女には、日常に似た夢を見せる。そうして目覚めさせようとしても無理な場合もある。「女神」に心酔し続ける男たちのように。そんなとき著者もまた、あきらめたように笑い、ピシッと小窓を閉めるのだろうか。


奈良葉子
(第二特集内に、芥川龍之介のそっくりさん登場!?必見です!)

不穏な“美”を湛えた
未知なる「廃墟」のような作品集

この短編集は、ありていのきらきらした言葉では到底言い尽くせない、底の深い“美”をはらんでいる。同じ趣味を分かつ人にしか伝わらない表現で申し訳ないのだが、私はこの本を、未知なる「廃墟」を訪れるような気持ちで読んだ。目に見えない何ものかがひっそりと息づき、全体が濃い霧のようなもので覆われ日常と一線を画す。そんな異空間が織りなす、怖い、けれども目をそらすことができない、幻想的で圧倒的な“美”の世界。この魅力を「廃墟」を知らない人に説明するのは至難の業だ。「まずは行ってみてくれ」と言ってしまいそうになる。『裁縫師』は、そんな筆舌尽くしがたい、得体のしれない“美”を湛えた作品集なのである。


似田貝大介
(『幽』7号は読みましたか? 幽ブックスもいっぱい刊行されていますので、ぜひとも!)

大人になっても
刹那にエロスを感じたい

表題作「裁縫師」の中で主人公は、幼少時代の濃密な時間に貪った“自由と快楽”が微熱をもって芯に残り、人生を支える柱になっているという。夢中になって遊んだ時間から発見するもの。例えば、けっして直接的ではなく、あくまで間接的にエロスを感覚する瞬間が幼少時代にあった。おそらく男性と女性とでは感じ方が違うのだろうけど、無自覚な大人たちが気付かないうちに、いたるところで異様なほどの興奮を味わっていた自分がいた。してはならない、禁忌なものへの耽美な魅力を子どもたちはしっかりと感覚し、味わっている。もちろん大人になった今も同じだ。本作ではそれを緩やかに肯定してくれた気がして、嬉しかったのだ。



イラスト/古屋あきさ

読者の声

連載に関しての御意見、書評を投稿いただけます。

投稿される場合は、弊社のプライバシーポリシーをご確認いただき、
同意のうえ、お問い合わせフォームにてお送りください。
プライバシーポリシーの確認

btn_vote_off.gif