2006年01月号 『リンさんの小さな子』 フィリップ クローデル

今月のプラチナ本

更新日:2013/9/26

リンさんの小さな子

ハード : 発売元 : みすず書房
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:Amazon.co.jp/楽天ブックス
著者名:フィリップ クローデル 価格:1,944円

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今月のプラチナ本

あまたある新刊の中から、ダ・ヴィンチ編集部が厳選に厳選を重ねた一冊をご紹介!
誰が読んでも心にひびくであろう、高クオリティ作を見つけていくこのコーナー。
さあ、ONLY ONEの“輝き”を放つ、今月のプラチナ本は?

2005年12月06日


『リンさんの小さな子』 フィリップ・クローデル/著 高橋 啓/訳 みすず書房 1890円

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リンという名の老人が、船から故国を見送るシーンより物語は始まる。リンさんは戦争により、自分の国も村も祖先代々伝わる土地も、息子夫婦も全て失ってしまう。ただ、まだ小さい孫娘のサン・ディウだけが彼の腕の中に抱かれている。難民となったリンさんがたどり着いたのは、自分の国よりもずっと寒い、北の国。他の難民との生活にも馴染むことなく、ただサン・ディウだけが彼の生きがいだ。人に勧められるまま、散歩をしていたリンさんは、妻を失った男バルクに出会う。言葉の通じない二人だが、お互いの雰囲気や素振りから、だんだんと分かり合っていくのだが……。

フィリップ・クローデル●1962 年、フランス生まれ。作家、脚本家。『忘却のムーズ川』でデビュー。その後も、『私は捨てる』『鍵束の音』『灰色の魂』など多数の作品を発表している。


横里 隆

(本誌編集長。冬です。新しいコートと靴で、木枯らしに負けず歩くのだ。iPod からは未映子の『頭の中と世界の結婚』。これもまた傑作)

この静かな物語には神が舞い降りています


僕たちはいつも片想いしかできない。両想いとか、心が通じ合っていると錯覚してしまうのは、あなたが誰かを想う片想いと、誰かがあなたを想う片想いの、ふたつの片想いが交差して、もつれて、まるでひとつに通じ合っているように見えるに過ぎない。そのとき錯覚を補完するのが言葉だ。「好きだ」とか「愛してる」と言いつづけないと、ほら、すぐに恋人たちは不安になってしまう。僕らの想いは大概、一方通行で、もろい……。そんなふうに醒めてみる。自分の感情を疑ってみる。そうすることでタフになる。なのに本書を読んだら、タフだと思い込んでいた強がりが崩れて溶けた。老人リンさんの、言葉が通じない赤ん坊に対する想いは、もろいか? 言葉が通じない異国の友人バルクとの友情は、一方的か? いや、言葉は機能しなくとも確かに伝わる何かがある。そのことに魂がふるえる。そうか、大切なのは通じ合うことではなくて、いかに強く、いかにシンプルに、誰かを信じつづけられるか、ということ。それは常に片想いだ。片想いでいい。すると、くるりと世界は様相を変えて、神が舞い降りる。ひっそりと美しく、気づけば涙が止まらない、傑作です。


稲子美砂
(本誌副編集長。主にミステリー、エンターテインメント系を担当)

絶望の中で見出した希望と信頼「わたしたちは二人一緒。」


「空は大きい……(中略)タオ・ライさん、あなたとこうしてここにいると、不思議なくらい落ち着いた気持ちになるんですよ」。言葉が通じないとわかっていてもバルクさんはいろいろなことをリンさんに話しかける。そんな二人と小さな子の物語がすうっと心に沁みるように入ってくるのは、翻訳がすばらしいから。日本語として本当に美しい旋律でストーリーを奏でている。なにも難しい言葉は使っていない。きっと小学生でも読むことができる。許容範囲の広い本だけど不思議な本。読んだ後いろいろな感情が渦巻く。悲しくて、でも温かくて嬉しくて、でもやるせなくて……。訳者あとがきにも素敵なエピソードがあるので、絶対読んでください。


関口靖彦

(弊誌増刊となる怪談専門誌『幽』第4号、いよいよ9 日発売! 豪華ラインナップの詳細は、本誌「幽・怪談之怪」コーナーをご参照あれ! すごいですよ!)

見たこともないものが、手の届くところにあった


本を読んだり映画を観たりして、涙ぐむことはよくある。けれどもこの本のように、顔をゆがめ嗚咽を漏らしたのはひさしぶりだ。書名を見るとリンさんと孫娘の話のようだが、実はリンさんとバルクさんの話。二人の男性は、物語の終わりまで、まったく言葉が通じ合わない。それなのにはっきりと、お互いを必要としているのだ。同じベンチに座り、肩に触れ、微笑みあう、ただそれだけで。おれはこんなに澄み切った感情を人と共有したことはない、それを思い知って体の根っこを切り裂かれるような思いがした。しかし一方、この本の二人は、特別な善意や才能を持っているわけではない。われわれにも、“ありえる”境遇なのだ。崇高でいて身近。そんな喪失と友情が、この短い話の中に結晶している。


波多野公美

(春に煙草をやめて、3 週間で5 キロ増。一念発起して置き換えダイエットを始めたら、一月でなんとか元の体重に。これからものんびり続けまーす)

胸が痛くなる遠い国のせつないお話


読んでいる最中も、読み終わっても、ずっとせつない気持ちが続いていた。このお話に、満ち足りた人は出てこない。みな、何かを失ってしまったのに、それを埋めるものを何ひとつもたない、無力な人たちだ。特に、主人公のリンさんと、バルクさんの二人。それでも、彼らの間には、なにかしらの交流が生まれて、友情がめばえてゆく。モノクロームの静かな映画を見ているようなこの物語の中で、二人の静かな友情だけが、かすかにだけれど確かに輝いて、ほんのりと二人を包む。そのちいさな光こそが、どんな力をもってしても、人の心から奪うことはできない、なにか大切なものだという気がした。


飯田久美子
(毎年恒例のBook of the year。今年は、オリジナルのブックカバーを作りました。限定5名の方にプレゼントします。ランキングと一緒にお楽しみのうえ、ぜひみなさんご応募ください)

信じられる何かがあること

人間はとても強いんだと思った。家族を失い、祖国を失い、言葉の通じない国で、世界中で自分の名前を知る者は自分以外に誰もいない孤独の中で�”�”。それでも何かのために生きる。それでも通じ合える誰かと出会う。リンさんの、物心もつかない小さな孫娘に対する愛情を「狂気」といえるだろうか。リンさんと、バルクさんの、「こんにちは」以外の言葉を介さない交流を「錯覚」といえるだろうか。と、問うているうちに、むしろその問いを突きつけられたのは自分だった。わたしがこれまで誰かに注いでいたと思っていた愛情は本当に愛情だったのか、誰かと通じ合えていると思っていたのは錯覚じゃないのか、と。わたしが世界で一番恐れる孤独の中で、リンさんのように強くある自信はないけど、とりあえず「こんにちは」は大切にしようと思いました。


似田貝大介
(怪談の文学賞ができます! まもなく発売、『幽』4号の第2特集「怪談を書こう!」では、怪談の書き方を徹底的にレクチャーします。怪談を書いてみようという方々は必読ですよ)

大切なものがひとつあればいい


戦争によって、小さな娘「サン・ディウ」とともに祖国の村から、遠く離れた見知らぬ国の見知らぬ街へと連れてこられたリンさん。か弱き老人の前に立ちはだかる文化の壁、言葉の壁は、年老いたリンさんが乗り越えるにはあまりに大き過ぎる壁。家族を失った悲しみも、見知らぬ土地での居場所の無い苦しみも、ただ受け入れるしかない。もしかすると本当に辛いとき人は、悲劇の流れに身をまかしてしまうのかもしれない。そうしたときに見えてくるものこそ、一番大切なものなのだろう。それが足がかりになるのだと思う。すぐにチャンスはやって来る。そのとき壁を乗り越えればいい。


宮坂琢磨
(ついに歩きながら寝る境地に達した! ヤバイ)

奇跡のバランスで成り立つ黄金比の物語


過剰なものに馴れすぎてしまったと感じる。悲しみにしても感動にしても。小説、映画や現実の事件で、不慮の死、劇的な再会は我々の心を揺さぶる。しかし、一度味わった刺激は同じように作用しないで、より不幸でより劇的な何かを望む。この物語はそんなどこか歪んだ気持ちを浄化してくれた。リンさんとバルクさんの交流に劇的な何かがあるわけではない(なにしろ言葉が通じないのだ)。「妻を亡くした男」「戦争で何もかもなくした男」という記号的でわかりやすい部分に同情させる物語でもない。ただ、二人の男の出会いと人生の交錯が、もたらす、優しく澄んだ空気がそこにあるだけだ。それだけなのに、こんなにも、こんなにも心が震えるなんて。

イラスト/古屋あきさ

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