「山岸凉子スペシャルセレクション」全16巻 待望の傑作シリーズ、ついに完結! 山岸凉子インタビュー

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公開日:2016/7/6

『日出処の天子』『舞姫 テレプシコーラ』、そして現在連載中の『レベレーション ―啓示―』まで、エポックメイキングな傑作を幾たびも手掛け、今なお第一線で描き続けているマンガ家・山岸凉子。「スペシャルセレクション」はデビュー作からレアな短編までを網羅した傑作選。超能力、ホラー、サイコサスペンス、恐怖を糸口に人間の真実を描き出す、その神髄にぜひ触れてほしい。

 デビューして47年。その軌跡を振り返るのに格好のシリーズ。山岸作品の魅力は、長編はもちろん、人間の心理に深く切り込んだ短編にもあることをあらためて思い起こさせてくれる「スペシャルセレクション」。

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「最初はこんなに長く続くシリーズになるとは思わず、気楽な感じで始めたのですが、絶版扱いにならないように、途切れないように、文庫の版権が切れるとセレクションとして潮出版社さんに入れていただくうち、ハッと気づくとすべての短編は『スペシャルセレクション』に収まっていたのではないかと」

 


「山岸凉子スペシャルセレクション」全16巻

山岸凉子 潮出版社 各1200円(税別)

ファンタジーの代表作『妖精王』から卑弥呼の時代を描いた『青青の時代』まで魅力的な長編はもちろん、『汐の声』『わたしの人形は良い人形』などのホラーをはじめとする名作短編を所収。時を経てますます輝きを放つ作品をセレクトしたファン垂涎のシリーズ。カラー原画も収録(4巻より)、作品の裏話をつぶやいた著者描き下ろしメッセージカードが入った(5巻より)永久保存版。


 

短編には私のすべてがダダ漏れになっている

『汐の声』『わたしの人形は良い人形』といったホラーの代表作はもちろん、デビュー作の『レフト アンド ライト』、初のホラー作品『ネジの叫び』などレアな初期短編も網羅。アダルトチルドレン、マインドコントロール、ジェンダー、毒親などという言葉もまだなかった頃から、いちはやくそうしたテーマを描いていることにも驚かされる。

「それは自分の問題でもあったからでしょうね。このテーマについて描こうとか、そういうことではなく、無意識で描いたら、そうなっていたのです。ですから短編では私の意識がダダ漏れ! すべて包み隠さず出てしまっている気がします。私は女性として生きるのに結構つまずいてきたのです。でもだからこそ気づくことがある。つまずく人間だからこそ見えた道、それを私は作品に描いてきたのだと思います」

 厳格な父のもとで育った少女の性に対する抑圧と恐れを描いた『天人唐草』もそんな作品のひとつ。ついに発狂して「ぎえー」「きえー」と奇声をあげる主人公の姿に、当時のアシスタントさんたちは「あれは私だ」と震え上がったという。

「あれは私が空港で実際に見た姿で、“ああっ、これは将来の私だ”と息を飲んだのです。彼女の後ろにそこに至るまでが見えたような。ずっと後になってスティーヴン・キングの『キャリー』を観た時も、これか!と思いました。抑圧して育てるとこうなるのだと。キャリーの場合は最終的に超能力としてあらわれましたけど、『天人唐草』の響子の場合は発狂するかたちで終わる。今もそうかもしれませんが、当時は性的な役割がものすごくハッキリしていて、女の子なら結婚してお母さんになるのが当たり前で、道がすごく狭かった。そういうプレッシャーと大人になる過程で感じる不安はイコールだったと思うのです」

『木花佐久夜毘売(このはなさくやひめ)』『黒のヘレネー』『瑠璃の爪』『奈落(タルタロス)』……対照的な姉妹と比較され、家族のなにげない言葉の呪縛に苦しむ主人公も、繰り返し描かれてきたテーマだ。

「“あなたはこれだからダメなのよ”みたいなことは誰しも言われたことがあるのでは? 言った当人にはそこまで傷つけるつもりはないのに、なにげない言葉がその人を縛っていたりする。このあいだ“自殺する若者たち”を特集した番組を観たのですが、彼等はほぼ全員兄弟がいて、親がどちらか一方を愛していて自分は無視されていると感じている人たちでした。たとえば同じ職場に女性が2人いると、だいたいどちらかがダメになるそうです。3人なら大丈夫らしいのですが。たいした違いはなくても甲乙ついてしまう2人という環境はそれだけ大変で、つまり兄弟姉妹というのは最初に比較されてライバルになっていく関係なんだと思います。やっぱり人は誰かに認められて初めて存在する。誰もが無視したら、その人は存在していないのと同じなのです。その最たるものが家族であり、親から愛されたい、認められたいという思いは重要なのですね」

 それは何も女性に限ったことではない。

「『負の暗示』では横溝正史の『八つ墓村』のモデルになった事件を描いたのですが、家族の中で自己評価が高かった長男が世の中に出てみたら、世間的にはそうでもないことがわかって、プライドが次々傷つけられて自分が壊れていくという負のスパイラルの話です。秋葉原の無差別殺人やストーカー殺人もこれではないかと」

 好きな作家にインスパイアされた短編からは、多感な少女時代の原点が垣間見える。

「私はルナールの『にんじん』が好きで『赤い髪の少年』でそれを描こうとしたら、アシスタントの女性が“私、子どもの頃、この本は読んじゃいけないってお母さんに止められた”って言うんです。確かに『にんじん』のお母さんはわが子をいじめる怖い人だと思われているけれど、今になって読むと夫から無視されている、つらい女性なのです。私の作品に出てくる母親も怖いとよく言われるけれど、実際は決してそんなことはなかった。母親が生きていれば、私も“お母さんはこういうところがひどかった”と恨み言が言えたし、母親も“そんなつもりはなかった”と言い訳ができたと思うのです。私の場合、母親が早く死んでしまったので、その解消ができないままだったのです。『ブルー・ロージス』にはテネシー・ウイリアムズの『ガラスの動物園』が出てきますが、あの小説のモデルになった彼のお姉さんに私は思い入れしていました。カポーティの短編を3つくらい合わせて描いた『クリスマス』のミス・スックもですが。彼女は世の中に適応できない人なのです。私は当時はそういう人に自己投影していたのですね。体験が心に普通に刻み込まれたくらいのエネルギーでは、ものはつくれない。やっぱり傷がついたと思うくらい深く刻み込まれてこそ初めて作品に転換して描くことができる。私は、作品にすることで自分の傷をちょっとずつ埋めてきた感じがするのです。深く傷ついたからこそ描けたものが、そうして埋まっていくことは、人間としては幸せでした。そういう意味では、あの時期だから描けた……というのはありますね」