「住みます芸人が『山形を盛り上げます!』とか言うのは嘘、だけど…」ソラシド本坊元児が東京を捨てて山形で得たもの

エンタメ

公開日:2022/7/22

ソラシド本坊元児

 2001年にデビューしたお笑いコンビ・ソラシドは、同期の麒麟や、アジアン(2021年6月解散)とともに大阪の劇場を拠点に活動していました。2010年に上京しますが、“売れる”路線に乗ることはできず泥水をすする日々。メンバーの本坊元児さんは大工バイトに従事し、過酷な肉体労働を赤裸々に語る『プロレタリア芸人』(扶桑社)を2015年に上梓しています。

 2018年、ソラシドは吉本興業が手掛ける「あなたの街に“住みます”プロジェクト」で山形に移住します。テレビやラジオに出演するかたわら、本坊さんがチャレンジしたのは農業。現在は地元企業とタイアップ商品を作るなど、山形に根付いた活動をしています。また2022年4月には、山形での生活を綴った『脱・東京芸人 都会を捨てて見えてきたもの』(大和書房)を上梓。山形で出会った人とのエピソードや農業をはじめたきっかけなどを、本坊さんならではのまっすぐな眼差しで語っています。

 独自の発想や行動で「住みます芸人」として活動する本坊さんに、山形で得たものや「芸人」でい続けるスタンスについて、話を聞きました。

(取材・文=堀越愛)

advertisement

辛かった時代が“フリ”になって、今がある

——「住みます芸人プロジェクト」が始まった2011年にも、ソラシドさんに声がかかっていたそうですね。当時は断ったということですが、そもそも「住みます芸人」に対してどういうイメージを持っていたんでしょうか?

本坊元児さん(以下、本坊):言い方が悪いですけど、当時は“左遷”みたいに思ってました。売れる前のとろサーモンとか、行き場を失ったbase芸人(※)がみんな声かけられたんですよ。でも当時はみんな30歳前後だったし、(地方に行くことで)“東京で頑張って売れる”路線を外れて活動するっていうのはなかなか酷やなと。「地方タレントを目指して芸人になったわけじゃないやんけ」みたいなとこもあったんで、僕はけっこう冷めた目で見てましたね。今考えると、自分の力を見極めてシフトすることは別にあかんことでもないし、(2011年に「住みます芸人」になって)結果を出してる子もいるんですけどね。

※2010年12月に閉館した、大阪の劇場「baseよしもと」に所属していた芸人のこと

——最初は良いイメージを持っていなかったんですね。

本坊:コロナ禍になってなおさら、いろんな生き方があるって分かりますけどね。昔気質の人も、生き方が多様化してることを受け入れていると思います。この前、メッセンジャーの黒田さんが「なにやってもええ」と言ってくれたんですよ。(黒田さんは)ほんとにTHE芸人っていう人で、舞台に立って芸人としてメシ食ってくという考え方だと思うんですけど、「野菜作ろうがなにしようが、お笑い以外でも活路を見出してやっていけるなら、なんでもいい」ということを言ってくれたんです。

 ただ、今はバイトせず生活できるようになったんで良かったですけど、最初に声かけられたときに「住みます芸人」になったとしてもうまくいかなかった気がしますね。

——東京でバイトばかりしていた苦しい期間を経たからこそ、今のような活動ができているということですか?

本坊:たぶん、東京のしんどい8年間は必要悪やったと思います。あの頃は毎日毎日工事現場に行って、「これってなんの時間やねん」って思いながら、出口のない迷路の中で生きてる感覚でした。でも僕みたいな性根が腐った、拗ねきってしまったヤツはああいう経験をせんと、40歳になったとき「よっしゃ」と開き直ることはできなかったと思います。

——とろサーモンの村田さんが撮ったドキュメンタリー『本坊元児と申します』(※)を観たんですが、東京時代の本坊さんはすごくトゲトゲしていましたね。今とはイメージが全然違います。

※2012年から約2年にわたり撮影された本坊さんのドキュメンタリー(https://youtu.be/Pb0yXTnL19Q

本坊:そうなんですよ。自分の顔つきが嫌なんで、ほとんど見直したことないです。目が吊り上がって、道行く人を睨みつけるような……みんなが敵に見えていたというか。村田のこともすごい嫌で、あいつがニヤニヤしながらカメラ持ってんのもムカついてましたね。やたら人間ドック勧めてきたんで、「こいつ俺に死んでほしいんか?」と思って。あのときのクセで、今でもカメラが近くにくるとちょっと避けてしまうんですよ(笑)。

——撮影時から年月が経っているとはいえ、あの本坊さんの延長線上に山形行きがあるわけじゃないですか。失礼な言い方になってしまいますが、よく山形に馴染めたなと思ってしまって……

本坊:分かります。全部人のせいにして、身内ですら嫌いな顔してました。(バイトばかりの生活は)誰かのせいじゃないって分かってるけど、そう思わんとやりきれなかったんですよね。逃げ道が必要というか、「今の自分がダメなのは、過去の1個1個の選択の末」って言われたらもう死ぬしかないやん、ってなるから。だから言い訳が必要で、会社や相方のせいにして言い訳がましく生きてました。今考えると、あのときの荒んだ感じが“フリ”だとしたら、回収できたかなと思うんですよね。あのときがあって今があるっていう。当時を“フリ”にしていかなあかんなと思ってます。

都会も田舎も一緒

ソラシド本坊元児

——「地方=よそ者に排他的」というイメージを持つ人もいると思います。山形に行ってみて、実際はいかがでしたか?

本坊:インターネットで地方移住について調べると、失敗した人や嫌がらせを受けた人の記事が出てくるんですよ。やっぱり「NO」の声のほうがでかく感じるんですよね。僕も「地方の人は排他的なんやろうな」って思ってました。でも山形で一発目に漫才したら、東京よりもウケてるやん、みたいな反応で驚きましたね。

「住みます芸人」って、東京で売れへんかったヤツが来るんやろって舐められてるんかと思ってたけど、そういうことを感じることは1回もなかったです。住んでる地域が違うだけで、たぶん考え方はそんなに変わらないんじゃないかな。都会も田舎も一緒です。嫌がらせされるんじゃないかとか思ってたんですけど、普通でしたね。

——『脱・東京芸人』によると、最初に仲良くなった“ジン君”を皮切りに山形でどんどん人間関係を構築されていますよね。東京では芸人仲間と過ごすことが多かったと思いますが、山形では一般の方のほうが接する機会が多そうです。

本坊:「住みます芸人」をやって一番の財産が、それだと思います。こっちに来るまでは芸人の売れてるヤツか売れてないヤツの生活しか知らなかったけど、(芸人ではない人が)めちゃくちゃちゃんとした生活してんねやってことを知れて、自分も大人になれたような気がしましたね。月曜から金曜まで働いてる人にとっての土日って、こんな感じなんやと分かりました。例えば、コンサートやライブみたいな娯楽をこんなに待ち遠しく思ってるんやなと。芸人よりもオンオフがちゃんとしてて、ああいう人らの生活を垣間見ると感動すらしましたね。で、ちゃんと芸人と同じところもあるし。

——どういうところが同じなんでしょうか?

本坊:普通にふざけて喋ってる感じとか、芸人の友達とあんま変わらないですね。芸人ならではの“暗黙の了解”みたいなものがあるんで、もちろんズレを感じることはありますよ。でもおもろいことはおもろいし、人間としては芸人よりも信頼できる。お笑い芸人同士がうまくいくのって、お互い優先順位の第1位が「笑い」だからだと思うんですよ。だから逆に言うと、「笑い」が1位じゃない人たちは家族や仕事を大事にしてる。それって芸人よりちゃんとしてる気がします。

——「住みます芸人」に限らず、地方移住した人が一番悩むのが人間関係なのではと思うんです。本坊さんが山形でうまく関係を築けたのは、なんでだと思いますか?

本坊:これを言うと元も子もないかもしれないですけど、(ジン君と知り合ったきっかけは)僕が若手の頃出ていたライブをテレビで観てくれてたからなんですよね(笑)。だから、入り口は芸人で得してるんです。でも「昔観てました」「ありがとうございます」で終わらへんかったのは、僕が“同じ世代の子と仲良くなりたい”と思って山形に来たからだと思います。

「住みます芸人」になると決まったとき、周囲の芸人からは「社長と飲みに行け」って言われたんですよ。番組やイベントのスポンサーになってもらうためには社長さんに好かれないといかんから、と。それはもちろんそうだけど、すげえ違和感があったんです。確かに社長は偉いけど、10年後は現場にいないんじゃないか? と。自分より下の世代の子のほうが、10年後に現場で活躍してると思ったんですよ。吉本の新入社員として入ってきた子が3年後にチーフになってたり、ADのバイトで入りましたっていう子が5年後にはディレクターやってたり……大阪のときから“追い抜かれる”のに慣れ過ぎてるのもあって(笑)。だから、山形では自分の前後10歳くらいの人と仲良くなりたいと思ってたんです。

吉本は「おもろい」の枠が広い

ソラシド本坊元児
ジョーカーのメイクをして畑仕事をする本坊さん

——本坊さんは「住みます芸人」になったことで、仕事が増えてバイトを辞めて、農業も始めて、本も出して……と順調に進んでいると思います。本坊さんなりに、「住みます芸人」としての活動がうまくいくためのポイントがあれば教えてください。

本坊:まず1つは、「四の五の言わずに動いてみる」ことですね。(うまくいかない人は)まず「会社が」って言うんですよ。「吉本がなにもしてくれへん」とか、「吉本から住みます芸人は“これをしたらあかん”、“これをせえ”って言われる」と。でも、そんなん知らん。バイト感覚の言い訳なんです。僕らは吉本所属やけど社員じゃないし、例えば山形の仕事をソラシドじゃない芸人がやっても、会社の収入は一緒なわけですよ。たまたまおるからやらせてもらってるだけ。

 で、拗ねてる人に限って、社員がめっちゃ動いてくれてるってことが見えてないんです。僕もこっちに来て知りましたけど、昔劇場支配人とかやってた人がエリア担当になって、わざわざ田舎まで話聞きに来てくれるんです。吉本の“骨太社員”が来とるってことは、なにかをしようとしてくれてるってことじゃないですか。吉本が「住みます芸人プロジェクト」を本気でやってるってことは、こっちに来てすぐに分かりました。

——2011年時点で感じていた“左遷”とは違ったんですね。

本坊:売れてない芸人を地方に押し付けてるわけじゃなく、吉本の「なんとかこいつらに食えるようになってほしい」っていう動きがめちゃくちゃ見えるんです。もっと冷たい会社やと思ってたんですけど(笑)。

 吉本は、「おもろい」と思ったらなんでもやってくれます。本社で野菜を売ったら、「すごいな、おもろいな本坊君」って言ってもらえて。若い頃はネタとか奇行とか、型破りなことが「おもろい」と思ってたんですけど、野菜を作って「おもろい」って言われると思わんかったです(笑)。吉本は「おもろい」の枠が広いんですよ。

——なにが「おもろい」と思われるか分からないから、まずは動けと。

本坊:あと、「背伸びしない」ことだと思います。正直、「山形を盛り上げまっせ」と思って来てないんですよ。僕ら的には、もうバイトは嫌だ、でも芸人続けたい、助けてください、なんでもしますんで……っていうのが本音やったんで、「山形や東北を盛り上げます!」とか言うのは嘘です。

 ただ、活動していくうちに「自分が生きていくためには、地元の企業が儲かってへんといけないんや」って分かったんですよ。コロナもあるし、去年は霜の被害もあって大変やったんです。そしたら、山形の経済状況が悪くなったことで毎週だったレギュラーが隔週になったりするんです。それで、リアルやな、ちゃんと繋がってんねやな、あの人たちのお金が俺らのとこに入って来てんねやな……ってのが分かって。そこから、ほんまに心から「盛り上がってほしい」「儲かってほしい」って思うようになりました。どうせやったら、僕らが関わった人の売り上げがちょっとでも伸びたら嬉しいじゃないですか。

——東京にいた頃より、今のほうが「社会の一員」という感じがありそうですね。

本坊:そうなんですよ。東日本大震災が起きたときは、「お笑いいらんな」って思ったんです。いったい何次産業なんや、こういうときなんもできへんやん、と。でも震災から少しずつ日常に戻っていくくらいのとき、ルミネtheよしもとを開いたらお客さんが来るんですよ。余震で何度も中断するのに、新喜劇を観る人がいたんです。

 大昔から、作曲家とか画家とか、文化人って1次産業、2次産業の人たちに生かしてもうてるんですよね。生活に直接的には必要ないものを作ってるけど、そういう“必要ないもの”が見たいんだなと。だからお笑いも必要なんだな、って思います。

——ドキュメンタリーや本を通じて、本坊さんは「いかに芸人であり続けるか」にこだわって模索し続けている印象がありました。その原点に、その「お笑いは必要だ」という想いがあったんでしょうか。

本坊:入り口はそんなに全然深く考えてなくて、ただ「自分が楽しけりゃいい」で入ってますよ。でも震災やコロナを経験して(お笑いは必要なのか)考えるようになったと思います。

 最近、笑福亭鶴瓶師匠とお会いする機会があって、そのときもこの話になりました。僕は(震災のとき)「必要のない仕事をしてるんだと思った」って言ったんですけど、師匠は「あのとき、もっと売れたいと思った」って言ったんですよ。ああいうときに被災地に行って、子どもからお年寄りまで全員から「来てくれたんだ」って喜ばれないと意味ないと。「だから、俺もっと売れたい思ったんや」って言わはって、かっこいいと思いました。「必要ない」とかネガティブなことばっかり考えてたけど、それも結局、自分が売れてないことへの言い訳だったんですよね。「これって意味あるのかな?」って思うってことは、「意味ない」ことの理由を探してるだけですから。鶴瓶師匠のように考えるようにしたいと思ったんで、「おじいちゃんの前でやっても分からへんやろ」とか「若い世代には伝わらへんやろ」とかじゃなく、全部全力でやろうと思いましたね。

——そんな心の変化があったんですね。

本坊:すぐ実践できるものでもないけど、「そうありたい」って思いました。この先何年生きるか分からないけど、ずっと鶴瓶師匠との話を振り返ると思います。

——東京にいた頃は「バイト」、山形では「農業」と、イメージを更新していますよね。次に更新したい目標はありますか?

本坊:それなんですよ。まさに今、それにぶつかってます。最近僕を知ってくれた人は、大工・アルバイト・貧乏な本坊より、「野菜作ってる人」というイメージだと思うんです。「農業の本坊」に更新できた……で、ほんで?ってなってるんですよ。大工が農業に変わっただけ? みたいな(笑)。だからと言って、次のことにチャレンジするために農業辞めるのは本末転倒だし……。

 でも、山形に来るときの目標は「アルバイトの認(にん)を消したい」って薄ぼんやりしてて、農業するつもりなんて一切なかったんですよね。だから今から5年後になにをやってるのかは、まったく想像つかないです。まだ一部の人にしか知られていないので、山形・東北・日本全国に「野菜作ってる芸人の本坊」を浸透させたいですね。それが一番の「更新」になるのかなと思います。

あわせて読みたい